Tuesday, January 31, 2006

「東京タワーのお話湯たんぽのお話を興味深く伺いました」(06-01-31)[n]
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東京タワーが完成してから随分と年月が経ちました 不思議なものですが 実は2,3日前に テレビで東京タワーの隠れた秘密を放映していたのです それに依ると タワーの中間の展望台が 高さ150mあるのだそうですが 土、日、祝日に限って 外側に取り付けてある階段を開放し 昇降出来るようにしてあり かなりの人がトライしているそうです 又ミニコンサートも行なわれているとか 夜は時間を区切ってライトアップされていますので 綺麗です 仰るように 建築工事の行なわれていた頃を思い出します 三田通りの赤羽橋にあった済生会中央病院も 高層ビルに替わりました

芝公園内にあった東京プリンスホテルも タワーが隣に出来ましたが 西武グループの再編成が始まりましたので どうなりますやら 変化が激し過ぎて付いて行くのが大変です

湯たんぽのお話ですが 密かなブームになっているようです  ご指摘のドイツ製ですが あの湯たんぽを丸の内の代理店が取り扱っているようですが 手に入り難いと聞いています 我家にもブリキ製の湯たんぽがありますが 今ではお蔵入りの状態です 我家は1967年に建てた古家ですが 当時は全館冷暖房という発想が無く夫々の部屋にエアコンを付けています 従って夏は暑く 冬は寒いという 典型的な日本家屋です 湯たんぽの代りに 寝る時はデロンギを使っていますが お陰で心地よい眠りが出来ます

最近は地震対策が話題になっています 静岡を震源とする東海地震が予想されているのですが 隣の県だけに地震保険もこの地区は高額となっています 加えて東京湾及び茨城や千葉で 最近震度3~4の地震が頻発しています 臨海部に高層マンションが並ぶようになったのですが 埋立地のマンションは大丈夫でしょうか

本屋の店頭には 発生時に歩いて帰る道順を示した本が並んでいて 売れていると聞きます
家のメンテにも留意していますものの いざという時には役に立ちますやら心配です

同和火災さんは 例の華麗なる一族の岡崎さんの創業された会社でしたね  ご照会した川岸さんは その一族だったと思います  岡崎さんの息子さんでしょうか お孫さんでしょうか 神戸のファミリアという子供服専門店に養子になられ お付き合いした事がありました

今日は珍しく2日続けての雨天です その前日は快晴で 3月の陽気でしたが 近所に住む三越OB14名で
ゴルフに出掛けました 大叩きでブービー賞でした 余り出掛けませんが 健康維持のために 年に4、5回プレイしますが 何時まで経っても百獣の王様です

お元気でお過ごし下さい 又。
「東京タワーが伸びる頃」(06-01-31)[s]
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メールマガジン「カナダこのごろ」によく投書してくださる井上出さんという方がおられるのですが、「イノさんシゲさん」というブログにも掲載しています。

その井上さんが、「日本で湯タンポが復活している」というエッセイを下さったのですが、それを読んだ昭和33年卒の塾員が、次のように書き送ってきました。

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邦画 ”Always 三丁目の夕日” を是非御覧下さい。

昭和30年前後(東京Towerが立ち上がり始めた頃)の当時の下町が良く描写された活動であります。夜湯たんぽを用意したり、朝その水で顔を洗ったり・・・・

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それに対して、井上さんがまた次のように書いてこられました。

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Aさんのお勧めで「ALWAYS 三丁目の夕日」と言う映画を見て来ました。 東京では現在3個処のみの上映ですが、有楽町にあるスバル座と言う映画館に出向きましたところ結構お客さんは入って居ました。 シルバ-世代は今何処の映画館でも1,000円で観賞出来るのですが車で出掛けたので駐車料は1,800円取られました。

先日私が日本では今湯たんぽが復活して品不足で独逸製の銅で出来た二重蓋の物が8,000円もするにも拘らず売れて居ると御紹介した為、Aさんは昔の日本の冬は湯たんぽは何処の家庭にもあり朝はそのお湯で顔を洗ったもので、その様な場面がこの映画に出て来るからと言う事と昔の下町のホノボノとした情景が沢山出て来ると言う事で勧めて下さったので行って来ました。

ホロリとする場面が結構あって又東京タワ-が段々と出来上って行くところが出て来たり、TVが珍しい時代で沢山の人が小さなTVに群がって力道山の活躍に大喜びで拍手喝采する場面を見て、当時逗子駅前にあったTVで力道山のファイトを見る為にワザワザ葉山からバスに乗って出掛け数百人の人達と一緒になって力道山を応援した頃の事を想い出しました。

この映画は内容的にはお話する様な物ではありませんでしたが結構楽しませて貰いました。 機会がありましたらCDで御覧になる様私もお勧めします。

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東京タワーが徐々に背丈を伸ばして行った頃、私も三田に通っていて、札の辻の向こうの芝の辺りがよく見えたのを懐かしく思い出します。 その頃は、自由ヶ丘に下宿していて、バスで、目黒から白金を通りぬけ、三田三丁目で降りました。 今から半世紀前のことになりますか。

Monday, January 30, 2006

「昭和も遠くになってしまいました」(06-01-30)[s]
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ご尊父野村先生が甲南の校長をしておられたとは知りませんでした。 驚きです。 私が二中に入った頃の校長は池田俊彦という人でしたが、学習院の教授から二中に赴任し、暫くして一中の校長へという話が出て、生徒達が騒いだそうです。 それで二中に留まったという話を聞きましたが、軍神横山少佐を描いて映画にもなった岩田豊雄の「海軍」で脚光をあびることになりました。 武智兄のお父さんは確か盛岡から来られたと思いましたが、昔の校長人事は、全国的な規模で行われたのですね。

同和火災の川岸さんという方は存じ上げておりません。 私は入社後、銀座の東京支店火災調査課に配属されました。 普通新入りは金を扱う営業には数年経ないと出さないのですが、私は机で居眠りばかりしていたので、二年目には外に放り出されてしまいました。 

学生時代から、渋谷の道玄坂に、同和火災の営業所があるのは、気づいていたのですが、その構えの汚くてお粗末なこと。 保険会社にもあんな貧相な店があるのかと思っていたら、なんとその店にまわされたので驚きました。 そこに暫く居たのですが、これも無責任社員にとって自由で気楽な所でした。

当時損保は20社ありましたが、扱う商品は、政府規制の、形のない、抽象的な品目ばかり。 しかも,20社あっても、三菱をバックにした東京海上の独走市場。  そのおこぼれを残りの会社が拾う体制でした。 そのうち弟の高校時代の同級生で、社長の長男が重役として入ってきました。 そうこうするうちに、私の父が癌になり、私も鹿児島出張所に転勤になりました。 もし定年まで残っていたら、鹿児島出張所の次長か所長代理ぐらいにはなれたかもしれません。 川岸さんは、個人商店みたいな会社で、専務にまでなられたのですから、優秀で、毛並みもよかったのでしょうね。 私が居た頃は、岡崎社長の下に、専務は居らず、常務どまりでした。

父が死去する一ヶ月前鹿児島の教会で結婚しましたが、妻の父が金沢で小さな製紙工場をやっていたので、今度は手で触って見ることの出来る商品を扱えると、もぐりこみました。 それが縁で、英国の機械メーカーの代理店となり、またさらにそこからBBCに雇われたのでした。

それ以降は根無し草です。 昭和一桁族はみなリタイアしたわけですが、その中でも、一社一筋に勤め上げた人達が、今の年金社会では、最も恵まれているそうですね。 とすると後藤兄や上村兄などがその典型。 一番余裕のある日本人なのかもしれませんね。 貴兄も二つの日本一の会社にあって諸葛孔明の働きをされたわけですから、ユニークな存在です。

Friday, January 27, 2006

「今日は抹香くさいトピックです」(06-01-27)[s]
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貴兄が、人と話していて、それが仕事の話とか普通の会話の中でも、クリスチャンを識別できるとは、炯眼ですね。 しかし強情というのは、クリスチャンの証しとしては、あまり褒むべきことではありませんね。 かといって、あまり融通無碍でもよくないでしょうし。

私も強情なところがありますし、よく頑固だと言われます。 この頃になって、我を貫いて頑固で通すことは、長い目でみれば、損になることが、少し判ってきました。

前にも申し上げたように、私は、「BIBLE CARRYING, CHUCH GOING NON-BELIEVER」という、似非クリスチャンのグループに属するでしょう。 私は、49才の時、水槽で、ザブンと頭から水に浸かって洗礼を受けたことがあるのですが、まだ本物のクリスチャンであるという確信はないのです。

宗教の最終的なゴールは、天国に行くことです。 本物のクリスチャンは、皆天国に行けることを確信しており、この世の苦しみや悲しみは、天国での永遠の喜びや栄光に較べれば、取るに足りない一瞬の泡沫に過ぎないと考え、一日一日が過ぎるほどに天国へ行ける日が近付くと、楽しみにしています。

ですから、クリスチャンにとっては、死ぬことは凱旋であり、ハレルヤと主の栄光を讃えます。

私は如何に? 私もそう信じたいのですが、どうも使徒達の希望的幻想ではないのか? しかし、星空をみても、創造主が調和と秩序を愛し、宇宙をこしらえたことには疑念の余地がありません。 では何故この地上で、苦しみと悲しみが多くの人に降りかかるのを、全能の神は許しておかれるのか?  その苦痛をプラスマイナスするゼロサム理論の答がありそうなものだが、それが死後の世界に待っているのか?

キリスト教では、善行を幾ら積んでも、それは天国に行ける条件として、神は一顧だにされない。 必要なことは、我々の罪のために十字架にかかって死んで下さったイエスを信じて、罪を悔い改めることだ。 それだけで天国は保証されるのだと教えます。 私としては、それでも、微かな疑念が拭いきれないのですが、統計がそのまま当てはまれば、私の寿命も後4年。 ボツボツ死後の霊の行方について考えなければなりません。

時々、一度死んで蘇生した人達の話を聞くことがありますが、共通しているのは、死んだ後、トンネルを通って、川みたいな所に出る。 仏教でいう三途の川ですかね。 その向こうに、亡き両親や友達が居て待って居るというのですが、生き返った人達は、大体そこで自分の名前が呼ばれているのに気づき、振り返ると、病床のまわりの人達が名前を呼んでいた。 そして意識が戻ってきたということです。 うちの親戚の女性も、子供の時の体験として、同様なことを話していました。

その場合、宗教上の信仰の有無は関係ないと言います。 そして、再び死ぬことについては、まったく恐れや不安を感じなくなるということです。

ただ、自殺の場合は、例外なく地獄に行くそうで、生き返った人は、それ以後熱心な信仰に生きるようになるそうです。 アラブの自爆者の死後はどうなんだろうと考えてしまいます。

私も、「カナダこのごろ」のような手すさびは程々にして、もっと大事なことは何かということを少し考えた方がいいのかもしれません。

Wednesday, January 25, 2006

「私も父の事についてお話しします」(06-01-25)[s]
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貴兄の家の屋号「アキ洋裁店」が広島の安芸から来ているのは初めて知りました そうだったのですか

私の父は宮崎県の延岡市の出身です 延岡中学から旧制五高へ進み京都帝国大学への道を辿りました
東京帝国大学にも受かったのだそうですが 両親が遠い東京へ行く事を反対し京都へ進んだと父から聞きました 

理学部数学科出身ですから頭が良かったのでしょう ゼミは函数論です 家には父の数学の本が一杯並んでいましたが 不肖の私は凡庸で 親父の後は継げませんでした 函数論を選んだので保険に興味を持ち 卒業時には生保に就職が決まっていたのですが 前便でお知らせした様な訳で 心ならずも教師の道にはいりました

でも旧制高校には馴染めず 結婚して 義父の勧めで 郷里に近い鹿児島一中に教頭で赴任したのが 37歳の時だったそうです 

鹿児島の気風が父には合っていたのでしょうか 鬼教頭として勇名を馳せました 今でも当時鍛えられた教え子の方に会うと武勇伝を聞かされます これもお知らせしましたが 師範学校の周囲を私に走らせたのは 虚弱児だった私を何とか丈夫にしたいとの願望だったのでしょう お陰で今もって元気で居られるのは感謝しなくてはなりません

貴兄はご存知ではないかも知れませんが 父は貴兄の出身校の甲南高校の校長もいたしました 昭和30年代の半ば頃の話です 延岡中学、宮崎中学、宮崎大宮高校の校長から宮崎県の教育長を勤めましたが 贔屓にしてくれた県知事の辞任に伴い辞職し 引退したのでしたが 鹿児島の岩元さん(卒業生で後援会長をされていました)から口説かれ 5,6年甲南高校に勤めました

不肖の子でした私にとっては好きな父ではありませんでしたが 今となっては後悔する事が屡です 親孝行は全くしませんでした 自分の息子を見ていると 当時の自分を思い出し 苦笑します

同和にお勤めだったそうですが 大学の後輩で 川岸さんをご存知ではないでしょうか  確か3年位後の方です 彼は本体の専務をされ 子会社に移られてから社長をされていました 彼とは私が大阪駐在の時にお付き合いしました 若しご存知でしたら奇縁ですね

先週雪が降り 藤沢でも10cm積りました 未だ庭には雪の残骸があります 寒さもぶり返して 猛烈に寒い それに流感が流行っています 長期予報では 2月も寒さが続くと言って言っています

カナダの選挙の事が此方の新聞でも報道されました 貴兄のお見通しのように保守党が勝ったのですが 過半数を取っていないとの事ですね 連立内閣になるのでしょうか それにしても党首の若さには参ります
時代の波でしょうか 

それでは又 お元気で
「父のことなど」(06-01-24)[s]
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貴兄が越中富山の生まれとうかがって驚きました。 私は遂に富山には行けずじまい。 それにしても、ご父君が、大学を出て、いきなり旧制の富山高校に赴任とは、余程優秀だったのですね。 明治の初めに帝国大学を出た夏目金之助も、最初は「坊ちゃん」の松山中学だったようですから。 

私は、小学時代までの本籍は、愛媛県の今治でした。 祖父が今治の出身で、明治の初めに笈を負って上京、大学予備門から帝国大学農科大学に学びました。 当時は農学部とは言わなかったようですね。 年齢からいって、予備門では漱石と同じ学年だったのではないかと勘ぐるのですが、漱石は松山中学から五高へ。 祖父は岐阜の農学校から広島の高等師範へという教師稼業。 というわけで、父は広島生まれ。 後にレコード屋を始めた時も、「安芸楽器店」と名付けました。 それが後にアキ洋装店となり、昭和40年頃までやっていましたが、我々兄弟が海外に移住して廃業しました。

祖父は、広島の高師から鹿児島の高農に転勤。 そういうわけで、父も鹿児島の二中から関西学院へ。 そして父の長兄が始めて投げ出した絵画材料と楽器店を引継ぎ、武町の製材所の娘だった母と結婚。 私が採れたという次第です。 

赤塚兄も鬼籍の人となりましたか。 我々が附属を卒業した時、師範学校が県立から官立となり、我々の卒業証書も新しい番号が付けられ、赤塚兄がその第一号だったように憶えています。 15年前に鹿児島に帰った時、満尾兄が私の頭を見て、「君も禿げたなあ!」と驚きの嘆声を発しましたたが、その彼も先立ってしまいました。 30代の頃、医者が家内に「ご主人は50までもちませんよ」と耳打ちしたそうですが、日本でセールスマンを続けていたらそうだったかもしれません。 ラジオの仕事に変わったので、74まで生き延びたのかなと思います。

私は心理学の本を読んで、自分の知能程度なら、スモールビジネスか教師が適性かと思ったのですが、 文学部を出る時に、同和火災が無試験で採ってくれるというので、先生になる前に実社会の経験を積んでおくのも悪くなかろうと思い、お世話になることにしました。 ところがこれが間違いで、15年程無駄な年月を過ごしてしまいました。 その後たまたまラジオの仕事にありついたので、教師の職とは違うけれども、アイディアと言葉を使う点では、多少似通った環境に近づくことができたかなと思っています。 教室だと大勢の生徒に接することになり、ストレスでしょうが、ラジオだと、スタジオで独り言を言っていればいい。 調整室にいるテクニシャンは日本語のわからない外人。 それに、この時間日本では誰も聴いていないだろうと思うと、気楽な稼業でした。 だから74まで長生きできたのでしょう。

寒さがまだ厳しいそうですが、くれぐれもお大事に。

Saturday, January 21, 2006

「カナダでは月曜が選挙です」(06-01-21)[s]
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日本は首都圏でも大雪と聞いて、東京の人はスノーブーツも無いだろうし、スノータイヤも着けていないから、混乱がみられたのではないかと思います。 バンクーバーの住人も、雪には馴れていないので、混乱が生じます。 その点、隣のアルバータ州から以東、酷寒のケベックまで、雪との付き合い方がうまいので、車の運転も大胆です。

その雪と氷の中で、選挙戦は最後の追い込みですが、私は現住所に移ってまだ1ヶ月。 まだ名簿の登録もすんでいないので、当日の月曜には、旅券と免許証を持って、最寄の投票所を訪ねてみようと考えています。 

しかし、困ったことに、誰に投票したらいいのか、私には判らないのです。 自由党のマーティン首相が人柄も経験も手腕も長けていると思うのですが、12年続いた自由党政権そのものが失策続きです。 しかも61年昔、日系人の人権を不当に扱ったのが当時の自由党政府。 そんな古いことを持ち出さなくてもと言う声も聞こえてきそうですが、カナダの歴史の汚点であることは否めません。 そのあやまちを20年程前謝ったのが、進歩保守党政府。 しかし現在の保守党党首はまだ46才。 実戦の経験のない机上論のエコノミスト。 NDPという社会民主主義政党が3番目の勢力ですが、この政党の前身のCCFは、戦時中日系人をかばってくれた社会主義政党。 しかし最近の日本人はそういうことを知らないし、恩義も覚えないでしょう。 戦後の日系ビジネス社会は、エコノミックアニマルによる体制派。 したがって政権に就く可能性のないNDPには冷たいものと思われます。

余談ですが、昔パキスタンのブットーが日本のことをエコにミックアニマルと呼んで、日本人はそれを悪口と受け取りましたが、英語人に言わせれば、それは誤解であって、経済的能力に長けた人を意味する褒め言葉だと言うのです。 そういえば、ポリティカルアニマルというのは、政治感覚にすぐれた人を指しますからね。

今から13年前は、進歩保守党が議会で過半数を占めていたのですが、1993年の総選挙では首相以下殆どが全滅。 再選されたのは1人だけ。 ですから、今度の月曜の夜の開票結果で、12年続いた自由党政権の行方がどうなるか。 カナダの有権者は、秋空の風に舞う羽のようなものですから、予想がつきません。保守党が大勝するだろうというのが、世論調査の託宣です。

Friday, January 20, 2006

「明け方から雪になりました」(06-01-20)[n]
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珍しく天気予報が当たり明け方から雪になりました もう5cm積っています
今日一日降り続くと言っていますのでもっと積るでしょう
こんな事が年に2~3回はあります 慣れていませんので後始末が大変です

とは言っても私は越中富山の生まれです 父が大学を卒業した時生保の会社に就職が決まっていたそうですが 旧制の富山高校今の富山大学に就職が内定していた友達が卒業出来ず 泣く泣くピンチヒッターで赴任したのだそうです ゼミの先生は絶対的な存在だったのでしょう それが教員の道に入った動機だっだのですが

私も富山市で生まれ 4歳の時に鹿児島へ行きました 今でも微かに 冬場は雪のため 2階が出入り口だったのを覚えています 殆ど南国で育った割には 夏場が弱く 冬には強いのも そのせいでしょうか

宗教の話ですが 藤沢市内には 特に住んでいる鵠沼地区には 教会が多いのです 散歩道の周辺にも 4軒の教会があります 我家の直ぐ近くにも教会があります 元々別荘地だったのですから 外国人が多く住んだせいかも知れません 

分りませんが 宗教心を持った人は幸せですね 心の拠り所を持っているのですから
私など問題が起きた時など 途方にくれる事があります 尤もそんな為に宗教はあるのではないでしょうが
働いている時でも相手と話し合っている時に この人はクリスチャンではないかなと思うことが多々ありました
聞いて見ると そうだと言うのです 信念を持っている そして強情です 決して曲げない これは共通して言える
事ではないでしょうか

貴兄が妙円寺詣りの歌を覚えて居られないのは以外でした 音楽に殊の外造詣が深かった筈でしたが
夜通し歩いて行った時に歌うだけでなく 運動会の騎馬戦で開始の前に歌ったのを覚えて居られませんか

騎馬戦で活躍した赤塚さんも鬼籍に入りました 彼は船乗りになって リタイアしてから電話を貰い そして
クラス会に1回出席しました ヤンチャ坊主でしたが その時は大人しかった記憶があります 確かその時には既に体調が良くなかったようでした

日郎さんにはその後会っていません と言うのは12月から1月に掛けて飲む回数が多く 少しヘバリ気味なのです そろそろお声を掛けて見たいと思っています
それではお元気でお過ごし下さい 又。

Tuesday, January 17, 2006

「私も宗教心は生ぬるい方です」(06-01-17)[s]
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妙円寺寺詣りの歌は覚えていませんでした。 懐かしいですね。 平坦な道と違って山道ですからね。 子供心に遠く感じました。 往復40キロ。 暗い夜道で見かけた魚の骨の光る燐。 人魂というのもこの類いかと思いました。 生駒兄がトリメだったとは知りませんでした。 今では私がトリメです。

かごしまNOW をみていると、鹿児島からソウルや上海の方が東京よりも時間的には近いということに気づきました。 日航のバンクーバー支店長が鹿児島に転勤になり、左遷かと思ったら、「いや、鹿児島は日航本の支店の中でも重要なんですよ」と力説していたのを思い出しました。

貴兄も家の中の整理にはげんでおられますか。 たしかに、我々も七十路の半ば。 何時この世とお去らばする時がやってくるかわかりませんからね。 

私の父は52で亡くなりました。 タバコが好きだったので、肺癌が命取りとなりました。 母も60を過ぎたところで、やはり癌で亡くなりました。 その遺伝子を引き継いだ私は、いつ発病してもおかしくないのですが、七十代も半ばになると、喜びも失望も多くを得て、いささか疲れを感じるようになりました。 

私はたしかに日曜日には教会に行っていますが、特に宗教的という方ではありません。 バンクーバーは、北米でも最も世俗的な町で、日曜日に教会に行くのは市民の3%に過ぎません。 日本のキリスト教人口の1%とそんなに変わりません。 そして教会に来る人達の果たして何パーセントが本当のクリスチャンかというと、これもクェスチョンマークです。 求道者もいるし、罪や病いの重荷を背負い助けを求める人もいることでしょう。 信仰の程度も様々です。 私は教会に行っても、礼拝には出ず、台所に引きこもっているのですが、説教の間に舟を漕ぐと、「牧師の父親があれじゃあ」と指を指されることになりかねないと、遠慮しています。 妻も礼拝には出席しませんが、その間別室で祈っています。

毎朝仏壇に手を合わされる貴兄の方が、まだ形の上でも余程宗教的と言えるでしょう。

「義人の祈りは効果が大きい」と聖書にありますが、妻は信仰が篤く、手のつけられない不良だった息子も母親の祈りに動かされて献身しました。 しかし父親は「聖書をかかえて教会に通う未信者」という状態をぬけられず、未だに死んだらどうなるのか、確信が持てないでいるところです。 

ただ祈りと十一献金(収入の一割を献金すること)については、幾つか具体的な証しを経験しているので、私も異論を唱えることはできません。

後藤兄の住む大和市に、日本最大のプロテスタント教会があるそうです。 日本の教会は平均20人ぐらいでしょうが、そのカルバリーチャペルという教会には、千人が集まると聞いて驚きました。

これからもう少し寒さが厳しくなるのでしょうか。 どうかお大事に。

Saturday, January 14, 2006

「私は宗教には今の処関心が薄いです」(06-01-13)[n]
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今日は1月14日(土)です 珍しく朝から雨になりました 外気温が割りと暖かなので雪になる惧れはありません
この処雨が降らなかったので木や芝生には恵みの雨となりました

どうやら引越しの後片付けが終わったようで良かったですね でも力仕事と言い気遣いと言いさぞお疲れになられた事でしょう ホッとされると気分が緩み風邪等引かれますのでご用心されて下さい 私は年末に棚の整理をしました 到来品をそのまま押し込んでいましたので始めたのですが 随分と手間隙掛かりました どうやら格好はついたのですが 考えて見ると右から左に移しただけに過ぎないように思えます 実は何時どうなるやら予測が付きませんので出来るだけ元気な内に整理して息子が見て分るようにして置きたいと思っています

高校の仲良し同期生が集る会が毎月1回横浜の関内であるのですが病人が続出し始めました
前立腺癌、皮膚癌、胃潰瘍それに腰痛と様々ですが 本人はでも奥方が病気とか 皆苦労しています
そんな年頃になったのですね それと娘が高齢になったけれどお嫁に行かないとか 夫々に悩みを抱えています
私も家内の病気には苦労しています 最近は西洋医学にも限界を感じて 東洋医学の療法に頼ろうかと 今検討しています 家内は70歳ですが 50歳の時に発病して 病院生活だけでも15年です 可哀想ですが治しようが無いと言うのが現状です 日本の医学は遅れていると思っています

教会に行って居られるようですが 私は今の処無関心です 宗教に縋りたい?との気持ちを持つ時があります
私の母は52歳で私が28歳の時に亡くなりましたが 信仰心の厚い人でした 5歳下の妹が 口腔癌で17歳で亡くなりましたが 発見が遅く 気が付いた時は手遅れでした 自宅に引き取り 自分の手で介護に当たったのですが 妹が亡くなってからは 廃人同様になりました この母が四六時中仏壇に手を合わせ祈ったのを覚えています あんなに信仰心の厚い母に 仏の加護が無かった事は 私にとってはショックでした 程なく精神状態がおかしくなり 病院での生活の後亡くなりました 通俗的な言い方かもしれませんが 世の中には神も仏も無いと思うようになりました

彬さんもそうでしょうが 私も長男です 自分の家を守らなくてはなりません 年齢と共にそんな義務感を覚え 両親や弟妹の祥月命日はお墓参りをしていますし 毎朝仏壇に手を合わせています お墓も宮崎から今住んでいる藤沢に移しました そしてその隣に 家内に実家のお墓があります ここも身寄りが全て亡くなりましたので こちらの墓守もしています 色々とあるものですね

縋ろうとか頼るとか言うのは下俗な考えなのでしょうね 自分でもそう思うのですが 未だ人間が出来ていないのでしょう その内に猛烈な宗教心の持ち主に変わるかも知れません

日郎さんから 2月に上村逸志さんが上京するので集らないかと言って来ました 鎌倉に娘さんですか 嫁いでいるのですね お孫さんの顔を見に来るのでしょう

妙円寺詣りの歌は覚えて居られましたか あの歌を歌って 夜中に伊集院まで往復しましたね 片道5里位あったのではないでしょうか 懐かしい思い出です それと夏に谷山の与次郎ヶ浜でしたか 海水浴に行ったものでした 市電の終点でした

それでは雨ばかりとの事ですが お大事にお過ごし下さい お元気で

Wednesday, January 11, 2006

「かごしまNOW,ありがとうございました」(06-01-11)[S]

薩摩大使閣下

かごしまNOWの数々、今日頂戴しました。 思ったより早く届いたので驚いています。 郵送の手間をおかけしてすみません。 感謝しています。

鹿児島でもこの冬は雪に見舞われたのですか。 小学校の時、初雪に、校外に皆で出かけて、それこそ「転ぶところまで」走り回った情景を懐かしく思い出されます。

今年は、裏日本の豪雪が大変なようですね。 こちらのニュースでも伝えられています。 ここは雪の代わりに、恵みの雨がたっぷりなので、海岸の散歩もまだしていません。

貴兄は、友人とのお付き合いがあって、よいですね。 私にはそういうチャンスはありませんが、日曜日に教会の台所に集まってくる人達が、皆さん日本語を話します。 イラン、フィリピン、マレーシア、アメリカからやってきた人達ですが、中でも一番よく働いてくれる人が50才のイラン人男性。 千葉や埼玉に5年いたそうですが、3Kの境遇で、苦労したことでしょう。 日曜の朝は、6時半に、ベーカリーにパンを取りに行ってくれ、お蔭で教会の人達もタダで町一番の上等のパンが貰えます。 ベーカリーが土曜日の売れ残りを寄付してくれるのです。

もう一人よく手伝ってくれるのがアメリカの領事。 床にしゃがみこんで、パン屑を塵取りに掃き集めてくれます。 ハーバード出の若いエリートで、流暢な日本語を話しますが、大きな身体を小さくして、いつもへりくだった物腰と話し口調で、将来の大物になりそうです。

日本人の女性もよく手伝ってくれますが、そのハズバンド達は手を出しません。 私は大体毒見役です。

もう一人、よく台所に入ってきて、私に話し掛けてくれる老人がいますが、元中東や東南アジアで大使を勤めた人。 東京のカナダ大使館にも居て、少し日本語を勉強したというので、こちらも出来るだけ日本語を使って話します。

しかし、教会はエリートだけの集まりではありません。 神学生、医学生、法学生はインテリですが、あらゆる民族の人が1000人ほどやってきて、その背景や職業も様々です。 私にはソーシャルスキルがありませんから、台所に逃げ込んでいるわけで、これでは友達ができるはずがありません。 英語ができないフリをして、ますます退嬰的になっています。

ですから、Eメールが一番の友達です。

Tuesday, January 10, 2006

「今日はちょっと青空が現われました」(06-01-10)[s]
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12月3日から始まった引越しも、ほとんど終わりました。 「ほとんど」というのは、まだ完了というわけではなく、これから、便利大工に頼んで、家の中の修繕をしてもらい、フィリピンの人達がやっている掃除会社に来てもらって DEEP CLEANING をしてもらい、そのあとカーペットクリーナーに出張してもらって、家中の敷物にシャンプーをかけてもらいます。 

まるで壊れた下水のマンホールから泥水があふれるように、これでもかこれでもかと現われてくる衣類と家財と格闘。、20箱ぐらいの古着をまとめました。 ユニオンゴスペルという宣教団体に電話して、「引き取ってくれるか」と訊きましたら、「20箱が限度」だということ。 それでは、もう一箇所、救世軍か、ビッグブラザースにも訊いてみなくてはなりません。 それでもダメな時は駆け込み寺みたいな所があるので、そこで貰ってくれるかもしれないとアドバイスされました。

こういう宗教団体では、受け取った古着を、直営店で売るとしても、客がつくかどうか。 これは私の想像ですが、VALUE VILLAGE のような、北米各地に店を持つ古物専門の量販店に、1袋?ドルで渡すのではないでしょうか。 VALUE VILLAGE は、ウェブサイトによると、千葉にもあるようですね。

それでもなおかつ残ったものは、「1-800GOTJUNK」というゴミ回収の会社に電話して、塵芥処理場に持って行ってもらいます。 「1-800」というのは、北米のどこからでも、無料で電話をかけられる仕組みの電話番号で、日本にも同様な仕組みが普及していることでしょう。 

この「1-800GOTJUNK」は、トラックにそう書いてあって、それが走り回っているのを時々見かけるものですから、つい覚えてしまう。 効果的なマーケティングということでしょうね。 私どもも数年前一回頼んだことがあります。 ゴミ屋というイメージには程遠い、インテリ風のキビキビした青年が二人やってきて、テキパキと粗大ゴミを持って行ってくれました。 料金は重量で出します。

ところで、最近、この「1-800GOTJUNK」が、ブリティッシュコロンビア州で、もっとも働き甲斐のある企業として、2年連続トップに選ばれたというので、驚きました。 社長も学生時代ゴミ屋のアルバイトをしたことのある若いアイディアマンで、起業家としてもすぐれた資質を持っているのでしょう。 ラジオのホストと話していましたが、「自分は働く人にやる気を起こさせるんじゃない。 やる気のある人達が集まってくる。 だから、自分も彼らの為に、彼らも自分の為に働いているだけだ」と語っていました。 そのホストはCBCでもトップのスターキャスターですが、「私も大学時代、二夏、トラックにぶら下がって、家庭のゴミを回収してまわったものだ」と言っていました。 日本では清掃局のアルバイトをしている学生がいるのでしょうか。

バンクーバーはこのところ23日間連続して雨です。 予報によるとまだまだ数日続きそうです。 今日は朝のうち雲の切れ間からちょっと青空がのぞいていましたが、午後にはまた雨になりました。

Saturday, January 07, 2006

「今年初めて青空が望めました」(06-01-06)[n]

連日寒い日が続いています 今朝など最低気温が初めて氷点下1度でした 平年と較べると2~3度低いそうです 元旦から曇り空が続き時々は小雪が散らつきましたが青空が見えると気持ちが良いものです
 
先ず私の住所と電話番号をお知らせします

〒251-0027 神奈川県藤沢市鵠沼桜が岡3-8-22 ℡:0466-22-7100

です 独り暮らしのため用事を自分で済まさなくてはならず 又一日おきに家内の病院へ行きますので 家を留守する事が多く その時は留守電にしてあります

今年の初飲みは4日(水)でした 隣町の大船の駅前にあるスナック「KIKI」で映画会がありました
昭和34年卒の塾員の集まりで 元映研の人が 主としてアメリカのミュージカル映画を編集して かけてくれる
のです それも解説入りです 10名程度の出席者ですが 映画を見てから弁当をつつき そして生バンドで唄うという 肩の凝らない会合です 4日は フレッドアステアが主演した「バンドワゴン」が上映されました
湘南に住居を持っている塾員ばかりですから 楽しい会です

働いている時は 地元でのお付き合いは全くありませんでしたが 会社から離れて 初めて地元の方々と接する
機会が出来ました と言っても 元三越のOB・OGや塾員が大半ですが 利害関係の無い人との交流は気が休まるものです 不思議とダイエーの人との交流は殆どありません 未だ生々しいから 敢えて避けているのかも知れません

今日から此方は3連休です 土・日に加えて成人の日と続きます 恐らく海岸はドライブの車で混んでいる事
でしょう 夏場は毎日車の行列です それが鵠沼の狭い道に入り込んで 私共住民には迷惑なのです
安直な日本人スタイルの休日の過ごし方ですが 考え直す必要があります 休日も無闇に増やし過ぎました
そうしなければ休めない人が多いからなのでしょうが その結果何処へ行っても混雑します 自分だけの休日を取るようになれば宜しいのですが

日郎さんからはこの頃は電話がありません 来週位は電話して彼と会うようにしたいと考えています
それでは又 どうかお元気で

Tuesday, January 03, 2006

「謹賀新年(06-01-03)[s]



年頭のメッセージ、有難く拝読しました。 日本の正月風景が目に浮かんでくるようでした。

時々「海外の正月風景を」というリクェストがNHKや民放から言ってくることがあります。 しかし私が住んだニューヨーク、ロンドン、モントリオール、バンクーバーでは、元旦を祝う風習はないようでした。 というよりも、「長かったクリスマスの休みもやっと終わり、やれやれ明日からは仕事に戻るのか」といった、醒めた気分の日です。 1月1日に祝うのは在留邦人だけで、中国人、ユダヤ人、アラブ人もみなそれぞれ別な日に祝います。

しかし大晦日は賑やかに「蛍の光」とともに、新年をカウントダウンで迎えます。 ニューヨークのタイムズスクェアの集まりは有名ですが、私も一度だけ、ロンドンのトラファルガー広場のネルソン提督の像の下で、新年を迎えたことがあります。 大勢の人が集まっていましたが、12時になっても、鐘がなる訳でもなく、そこかしこで、キッスをするぐらいが、年明けのイベントでした。 それよりも、教会では、ウォッチナイトサービスという深夜の礼拝が行われ、牧師の説教がピッタリ12時に終るのには感心しました。 

私どもには、孫が5人いますが、3人はカリフォルニア、2人はモントリオールと、離れています。 うち1人は継孫で、これは長女の主人が再婚のためです。  

川柳に 「来て嬉し帰って嬉し孫の顔」 というのがありますが、我々も孫のお相手をする時は、その思いを実感します。

2005年は、貴兄とのメールのやりとりが始まったことで、意義のある年でした。 おかげで、私の人生の終幕が豊かにふくらんできました。

元日には、北元、上村、後藤の諸兄に、電話で 「ハッピーニューイヤー」 と挨拶しました。 逸志君のお母さんが96才でご健在というのには、びっくりしました。

貴兄の電話番号も教えてください。 私ののは、604-730-1342 です。 住所は、
#305, 1122 Gilford Street, Vancouver, Canada V6G 2P5 です。

貴兄とのメールをブログにまとめてみました。 アドレスは  nomandshi.blogspot.com です。

このアドレスは、貴兄と私以外は誰も知りません。 ですから第三者に読まれるということはありません。 しかしお気持にそわないようでしたら、スクラップしますから、おっしゃってください。

今は新居に住んで、日中永谷邸に、片付けに出かける毎日です。 永谷さんは、1月末に帰ってくる予定ですが、神戸の体験はどうだったのでしょうか。

息子の謙は、嫁の早基子さんについて、高石の大塚家で正月を過ごすべく、暮に発ちました。 息子はすぐ帰ってきますが、早基子さんは暫く残って里帰りを続けるようです。

どうかお元気で。

Monday, January 02, 2006

「新年明けましておめでとうございます」(06-01-02)[n]


恙無く新居で新しい年をお迎えの事でしょう
此方は元日からお天気が崩れて初日の出は見られませんでした
2日も曇り後雨でした 雨は3週間振りだったでしょうか
夜中から霙になり丹沢の頂上付近は雪で覆われています
余り寒いのも叶いませんが季節相応の気候が来て欲しいものです

正月の名物の大学対抗の箱根駅伝が昨日から始まりました
国道一号線を走るのですが 私の住んでいる藤沢も通ります
走る時間を見て応援に行く人も居るのです 昨日は往路でしたが 予想に反して順天堂大学が1位になりました

我家には正月は息子夫婦が孫2人を連れて泊まりに来ました
孫は上が7歳の女児、下が4歳の男児です 来ると嬉しいのですが 遊び盛りで暴れる相手をするのは疲れます 昨日帰りましたので やっと今日から普段の生活に戻れます

正月休みは当地は東京から50kmの距離だものですから 格好の日帰り観光コースになっています 海岸沿いの134号線は車の行列で湘南海岸を走り江ノ島に寄って鎌倉へというコースは 正月に限らず普段の土・日曜日は混雑します 今日3日はお天気が回復しましたのでさぞ大変でしょう

新居のご住所を教えて下さい 鹿児島の情報誌を或る程度纏めてお送りしたいと考えています

お疲れが取れないかと思いますがどうかお大事にお過ごし下さい
お元気で