Thursday, December 27, 2007

今年もあと3日ですね (2007/12/27)[s]
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お便り有難うございました。 コンピューターが故障したとのこと。 そういう事故があると、利き腕が使えなくなったような戸惑いを覚えますね。 私も目が不自由といいながら、自分で書いた手書きの文字が判読できないので、コンピューターに頼ってメモをとっている次第です。 

コンピューターに書き込んだ文字は出来るだけ消去していかなければならないと聞いていますが、私は怠けたまま放置しているので、キーを打ち込んでも反応が遅く、重く鈍い動きになっています。

クリスマスも、23日の日曜日が教会での礼拝。24日の夕べはキャンドルライトのサービス。 25日は、独身の友人宅に3家族集まって、七面鳥を食べました。

昨日26日はボクシングデー。 最初何も知らない時は、拳闘でもするのかと思ったら、使用人や貧しい人達に贈り物を入れたボックスを渡す仕来りが始まりとか。 今は、商店やモールで廉売大売出しの日。 徹夜で並んだバーゲンハンターが、未明の開店とともに店内に雪崩れ込みます。

旅行雑誌の頁をめくっていたら、2008年度のクルーズの案内が出ていました。 殆どがバンクーバー発のアラスカ航路ですが、その中に一つ、アラスカから極東へ向かう船がありました。 アラスカの開拓地の町やフィヨルドを訪ねた後、日本は鹿児島へ直行です。 横浜にも神戸にも寄らず、Kagoshima (Japan)だけに寄航です。 恐らく鹿児島の商工会議所や薩摩大使の有志が誘致に動いたのではないかと思いますが、いかがでしょうか。 

スーツケース一つ持って、うちのアパートから歩いて行ける埠頭から船に乗り込めば、乗り換えなしで鹿児島まで行けるというのですから、ちょっと心が動きます。 鹿児島の後、北京、大連に向かう3週間の船旅ですが、問題は食事。 3度3度グルメのご馳走攻めでは、糖尿、高血圧、コレステロールに悪影響必至です。 それに折角のフィヨルドや桜島の景観も来年の私の目で果たして見えるかどうか。 心は揺らぐものの、うたかたの夢物語に終わりそうだと、早や諦めムードです。

この冬はカナダも厳寒になるだろうという気象予想。 地球温暖化に逆行する予報ですが、こちらの人はよく握手するので、できるだけ頻繁に手を洗って、風邪の神を敬遠しています。

どうかお大事に。 よい正月をお迎えください。

Wednesday, December 26, 2007

ご無沙汰いたしました (2007/12/26)[n]
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暫くご無沙汰いたしました お変わりありませんか 師走も余す処5日となりました

この処気温も平年並みに下がり冬本番となりました 今年の冬はどうなのでしょうか

初めにクリスマスカードを頂きながら貴兄には送らず大変申訳ありませんでした
御地のクリスマスは如何でしたか?

実は私のパソコンが壊れてしまい修理に出していました ノートンのウイルスバスターを入れているのですが 負荷が掛かり過ぎるのでしょうか 全体に重くスピードも遅くなっていたのですが 立ち上がらなくなりました

このパソコンは鵠沼海岸に住んでいる先生に組み立てて貰ったものですが それだけに所謂手引書が無く 一々問い合わせて使用しているのです  ですからCPUを届けて修理をして頂く事になるのですから厄介です
先生宅の事情もあり 手元に返って来るのが遅くなり 貴兄にもメールを送れませんでした  どうかお許し下さい

お身体の具合は如何ですか 私はこの処飲む機会が多く フィットネスクラブにも行けませんでした
やれ口実を付けては 忘年会だなんて飲む会が続き 体力的にもかなり堪えました  年相応に酒量を減らさなくてはと思うのですが つい飲み過ぎてしまいます  来年の課題です  独り暮らしですから 食べ物には神経を使ってはいるのですが でも好きな物に走ってしまいます  偏食にならぬよう気を付けてはいます

高校時代の友達との会合が月に1回横浜であるのですが 病気を訴える人が増えて来ました  元気な人ほど落差が酷く 此方が驚かされます  大体は心臓、血圧、それに前立腺の病気で苦労しているようです

今日本では医者不足で 特に地方ほど酷く 科目を減らす大病院も出て来ました  医者の数を増やすべく 大学では定員の枠を広げる所も出て来ました  家内の病気でも経験しましたが 医者の質、量共に問題があり これからの社会にどう対応していくかが案じられています  アメリカやカナダでは医学の分野と それを支える社会政策が確立されているのでしょうが 日本の場合は弱者切捨てです

それでは故障も解決しましたので 又メールを送ります  どうかお身体にはくれぐれも気を付けられて
お過ごし下さい
お詫び方々ご報告まで  お元気で

Saturday, December 08, 2007

旅のお便り有難うございました (2007/12/08)[s]
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お便り有難うございました。 いい旅をされたようで、羨ましく思いました。 旅は心を豊かにします。 良い本を読むようなものです。

私がゆっくり進む汽車の旅を好むのは、触れ合う人の暖かさを楽しむことができるからです。 沿線の景色などほとんど覚えていませんが、食卓を共にした旅人達の新鮮な表現や表情が思い出となって長く残ります。 これが飛行機で乗り合わせた日本人だと、モントリオールからバンクーバーまで6時間無言で通すことになります。

貴兄が三越を去られてから大きな揺さぶりがあったわけですが、その頃の日経に、貴兄の談話が紹介されていたのを想い出します。 「もう三越とは離れた身分だから」とコメントを控えられたという記事が出ていたように記憶するのですが、それがお便りにあったメディアからのアプローチだったのでしょうか。

お友達の子供さんが自衛隊少年工科学校で学ばれたそうですが、そういう幼年学校や兵学校的な教育機関があるとは知りませんでした。 私も、昔長男が小学校の悪童として手におえなかった時、父親として自信を失い、カナダ軍に入隊させたらどうだろうかと思案したこともありました。 今思えば、子供が育つのにカナダでは最悪の環境に住んでいたのですが、移住した当初はそんなことも知らないままその地に落着いてしまいました。 学校から放校の警告を受けた長男の将来は刑務所に違いないと思い、刑務所見学に連れて行ったこともありました。 しかし結局その地に12年間住んでいた間に、息子が14才の時クリスチャンとなり、人間が変りました。 

現在41才ですが、カナダ、アメリカのみならず、フィリピンやカンボジアでも用いられています。 変れば変るものだと不思議な気がしますが、母親の感化を受けたのでしょう。 家内は大学を三つ卒業したのですが、子供達が大学に進み世的な成功を目指すことは望まず、神を畏れる人になってほしいと、5人のうち4人までは神学校に進ませました。 そのうちの一粒が実を結びつつあるようです。 結局全員大学や大学院まで行きましたが、大分遠回りをすることになりました。

私は1968年にイギリスに行きましたが、当時のイギリスはまだ戦後の耐乏生活の名残りが感じられました。 しかし企業戦士達の戦場だった日本に比べて、イギリスの社会の中には正直で礼儀正しく親切な人が多かったように思います。 ロンドンはパリやニューヨークに比べて地味ですが、一度そのノウハウを会得すれば実に住みやすい所でした。 言ってみれば、復興の槌音高い鹿児島から初めて京都を訪れ、未だ見ぬ故里ながらルーツを訪ね当てたような心地、それが当時のイギリスには感じられました。 思いやりがあっても余計なことは言わない、しない。 ですからイギリスに移ることには別段勇気も心構えも要りませんでした。 私が鈍感だったせいもあるでしょう。 

あそこは階級社会と言われますが、外国人は一応「ジェントルマン」扱い。 うちに来ていた家政婦さんは、私のことを「ガバナー」と呼んでいましたが、「知事」ではなく「旦那さん」ぐらいの意味だったかもしれません。 自称「外国人嫌い」のイギリス人からみれば、私は旧敵国人でしたが、BBCで働いていると判ると、「アウンティBBCか」と身内のように胸を開いてくれました。

そこからカナダへ移ると、ここはまだ移住者が到来し続ける開社会。 いい人も勿論多いのですが、概して先にやってきた人の方が威張っています。 カルチャーショックはカナダに来てやっと経験しました。

カナダへ来て一代で社会の上層部に登りつめる人もいますが、大体は「子供のために移住」する人が多いようです。 これはヨーロッパ系でも同じです。 

しかし二世や三世の間では、異人種間の結びつきが増えています。 私のところも子供達の配偶者は、ユダヤ、日本、フィリピン、イラン、フランス系と様々です。 しかしインロー同士仲良く、孫達は従兄妹同士で自然に遊んでいます。 成長するとどうなるでしょうか。 その頃は私達もこの世にいないのですが、あの世から眺めることにいたしましょう。

どうかお元気で。 よいクリスマスと新年をお迎えください。

Friday, December 07, 2007

師走に入り平年並みの寒さが訪れました (2007/12/06)[n]
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2007/12/06

師走に入り平年並みの寒さが訪れました‏

早いものです もう師走も6日が経ちました 
暖かかった秋が去り 冬が訪れました 
暖冬との予報ですが 厳しい寒さになるような予感がします

メールを頂きながら ご無沙汰をいたしまして 申訳ありません 
小旅行をしていたのです

12月2,3日と伊豆山に一泊旅行、 これは恒例となっている三越鵠沼会の忘年会で22名参加でした

その前の11月28~30日は自衛隊父兄会湘南支部の沖縄研修旅行に部外者として参加して来ました

伊豆山の旅館は電子工業会の所有している謂わば保養所ですが立派な施設でした 
海抜500m位の山中に建っていました 
夜の宴会付きで1泊2食で12,000円でしたが 略満足しました 

朝、温泉浴場から相模湾に日の出が見られました 
初島 それに伊豆大島も見えました が間もなく雨が降り出し 興を殺がれました

雨中を 熱海の山の上にあるモア美術館見学に参りました 
世界メシア教の持ち物だそうですが施設だけは超豪華なものの 貸小屋のようで「サーカス展」が掛かっていました 
ルオー、ピカソ、ビュッフェ等の絵がありましたが作品が少なくガッカリでした 
箱根の仙石原にあるポーラー美術館と較べると所蔵品の差を感じました 
紅葉が綺麗で貴兄にお見せしたい位でした

沖縄は近所に住む友(S55年卒の塾員)に誘われて行きました 
子供を自衛隊少年工科学校に入れ目下朝霞駐屯地で勤務しているのです 両親とも塾員ですが 良く思い切ってこの道に進めたものだと不思議に思います 
那覇のグランドキャッスル日航ホテルに泊まり那覇の陸海空の基地を見学いたしました
観光では 南部の激戦地跡を見て廻りましたが何回行っても 戦時中の事を思い出し 暗い気持ちになります

沖縄県平和記念資料館では県民の方が戦争の思い出を語る映画を放映していたのですが 当然といえば当然なのですが 反戦思想を訴えるもので それを修学旅行の高校生に見せている事には疑問を持ちました

仮に教師がそれを煽るような授業をしたら 感じ易い年頃の青少年にかなりの影響を与えるのを怖れます

沖縄は唯一の戦場だっただけに地元の人の感情は分りますが 私だけでなく 居合わせた他人もそのように案じていました

鹿児島一中で英語の教師だった牛島先生は沖縄軍司令官の牛島中将の甥だったと聞いています 
沖縄に行き あらためて戦争中の事を思い出しました

貴兄のメールを拝見してBBC,CBC時代のご活躍を想像します 
前にも申し上げましたが外国に新天地を求めて行かれた貴兄の勇気には 心から感服いたします 
私もサラリーマンになって何回と無く挫折感を味わいました 好きで入った三越を捨てて出て行かなくてはならぬと思った時の あの無量感を 今でも思い出します
岡田さんをやっつけてやりたい、そしてその岡田さんに尻尾を振って犬の如く無節操に付いて行った先輩達を見返してやりたいと思って その為に腕力のある中内さんに付いて行きました
幸か不幸かその思いは果たせたと思います 
岡田さんが取締役会で首を切られた時にマスコミの1人が直ぐに電話を掛けて知らせてくれました 
色々とありましたが あれ以来私は腑抜けの状態になりました 
以後のダイエーでの生活は流したようなものでした

転機は何時でもあります 
要は判断と実行力でしょう 
でも私には 貴兄と違って飛び出す勇気はありません

小学校時代の貴兄は大人しい方だったと思うのですが 東京で何十年振りにあった貴兄は逞しくなって居られました 

後何年生きられるか分りませんが準備だけはして置きたいと考え 身の周りの整理に追われていますが 出来るだけ長生きして 家内の供養もして行きたいと考えています

寒くなります 
そちらはもう雪が降ったそうですね 
どうかお大事に過ごされて下さい 
お元気で。

野村 昌平






2007/12/06

師走に入り平年並みの寒さが訪れました‏

早いものです もう師走も6日が経ちました 
暖かかった秋が去り冬が訪れました 
暖冬との予報ですが 厳しい寒さになるような予感がします

メールを頂きながらご無沙汰をいたしまして申訳ありません 
小旅行をしていたのです

12月2,3日と伊豆山に一泊旅行、 これは恒例となっている三越鵠沼会の忘年会で22名参加でした

その前の11月28~30日は自衛隊父兄会湘南支部の沖縄研修旅行に部外者として参加して来ました

伊豆山の旅館は電子工業会の所有している謂わば保養所ですが立派な施設でした 
海抜500m位の山中に建っていました 
夜の宴会付きで1泊2食で12,000円でしたが 略満足しました 

朝、温泉浴場から相模湾に日の出が見られました 
初島 それに伊豆大島も見えました が間もなく雨が降り出し 興を殺がれました

雨中を 熱海の山の上にあるモア美術館見学に参りました 
世界メシア教の持ち物だそうですが施設だけは超豪華なものの 貸小屋のようで「サーカス展」が掛かっていました 
ルオー、ピカソ、ビュッフェ等の絵がありましたが作品が少なくガッカリでした 
箱根の仙石原にあるポーラー美術館と較べると所蔵品の差を感じました 
紅葉が綺麗で貴兄にお見せしたい位でした

沖縄は近所に住む友(S55年卒の塾員)に誘われて行きました 
子供を自衛隊少年工科学校に入れ目下朝霞駐屯地で勤務しているのです 両親とも塾員ですが 良く思い切ってこの道に進めたものだと不思議に思います 
那覇のグランドキャッスル日航ホテルに泊まり那覇の陸海空の基地を見学いたしました
観光では 南部の激戦地跡を見て廻りましたが何回行っても 戦時中の事を思い出し 暗い気持ちになります

沖縄県平和記念資料館では県民の方が戦争の思い出を語る映画を放映していたのですが 当然といえば当然なのですが 反戦思想を訴えるもので それを修学旅行の高校生に見せている事には疑問を持ちました

仮に教師がそれを煽るような授業をしたら 感じ易い年頃の青少年にかなりの影響を与えるのを怖れます

沖縄は唯一の戦場だっただけに地元の人の感情は分りますが 私だけでなく 居合わせた他人もそのように案じていました

鹿児島一中で英語の教師だった牛島先生は沖縄軍司令官の牛島中将の甥だったと聞いています 
沖縄に行き あらためて戦争中の事を思い出しました

貴兄のメールを拝見してBBC,CBC時代のご活躍を想像します 
前にも申し上げましたが外国に新天地を求めて行かれた貴兄の勇気には 心から感服いたします 
私もサラリーマンになって何回と無く挫折感を味わいました 好きで入った三越を捨てて出て行かなくてはならぬと思った時の あの無量感を 今でも思い出します
岡田さんをやっつけてやりたい、そしてその岡田さんに尻尾を振って犬の如く無節操に付いて行った先輩達を見返してやりたいと思って その為に腕力のある中内さんに付いて行きました
幸か不幸かその思いは果たせたと思います 
岡田さんが取締役会で首を切られた時にマスコミの1人が直ぐに電話を掛けて知らせてくれました 
色々とありましたが あれ以来私は腑抜けの状態になりました 
以後のダイエーでの生活は流したようなものでした

転機は何時でもあります 
要は判断と実行力でしょう 
でも私には 貴兄と違って飛び出す勇気はありません

小学校時代の重松 彬さんは大人しい方だったと思うのですが 東京で何十年振りにあった貴兄は逞しくなって居られました 

後何年生きられるか分りませんが準備だけはして置きたいと考え 身の周りの整理に追われていますが 出来るだけ長生きして 家内の供養もして行きたいと考えています

寒くなります 
そちらはもう雪が降ったそうですね 
どうかお大事に過ごされて下さい 
お元気で。

野村 昌平






2007/12/06

師走に入り平年並みの寒さが訪れました‏

早いものです もう師走も6日が経ちました 
暖かかった秋が去り冬が訪れました 
暖冬との予報ですが 厳しい寒さになるような予感がします

メールを頂きながらご無沙汰をいたしまして申訳ありません 
小旅行をしていたのです

12月2,3日と伊豆山に一泊旅行、 これは恒例となっている三越鵠沼会の忘年会で22名参加でした

その前の11月28~30日は自衛隊父兄会湘南支部の沖縄研修旅行に部外者として参加して来ました

伊豆山の旅館は電子工業会の所有している謂わば保養所ですが立派な施設でした 
海抜500m位の山中に建っていました 
夜の宴会付きで1泊2食で12,000円でしたが 略満足しました 

朝、温泉浴場から相模湾に日の出が見られました 
初島 それに伊豆大島も見えました が間もなく雨が降り出し 興を殺がれました

雨中を 熱海の山の上にあるモア美術館見学に参りました 
世界メシア教の持ち物だそうですが施設だけは超豪華なものの 貸小屋のようで「サーカス展」が掛かっていました 
ルオー、ピカソ、ビュッフェ等の絵がありましたが作品が少なくガッカリでした 
箱根の仙石原にあるポーラー美術館と較べると所蔵品の差を感じました 
紅葉が綺麗で貴兄にお見せしたい位でした

沖縄は近所に住む友(S55年卒の塾員)に誘われて行きました 
子供を自衛隊少年工科学校に入れ目下朝霞駐屯地で勤務しているのです 両親とも塾員ですが 良く思い切ってこの道に進めたものだと不思議に思います 
那覇のグランドキャッスル日航ホテルに泊まり那覇の陸海空の基地を見学いたしました
観光では 南部の激戦地跡を見て廻りましたが何回行っても 戦時中の事を思い出し 暗い気持ちになります

沖縄県平和記念資料館では県民の方が戦争の思い出を語る映画を放映していたのですが 当然といえば当然なのですが 反戦思想を訴えるもので それを修学旅行の高校生に見せている事には疑問を持ちました

仮に教師がそれを煽るような授業をしたら 感じ易い年頃の青少年にかなりの影響を与えるのを怖れます

沖縄は唯一の戦場だっただけに地元の人の感情は分りますが 私だけでなく 居合わせた他人もそのように案じていました

鹿児島一中で英語の教師だった牛島先生は沖縄軍司令官の牛島中将の甥だったと聞いています 
沖縄に行き あらためて戦争中の事を思い出しました

貴兄のメールを拝見してBBC,CBC時代のご活躍を想像します 
前にも申し上げましたが外国に新天地を求めて行かれた貴兄の勇気には 心から感服いたします 
私もサラリーマンになって何回と無く挫折感を味わいました 好きで入った三越を捨てて出て行かなくてはならぬと思った時の あの無量感を 今でも思い出します
岡田さんをやっつけてやりたい、そしてその岡田さんに尻尾を振って犬の如く無節操に付いて行った先輩達を見返してやりたいと思って その為に腕力のある中内さんに付いて行きました
幸か不幸かその思いは果たせたと思います 
岡田さんが取締役会で首を切られた時にマスコミの1人が直ぐに電話を掛けて知らせてくれました 
色々とありましたが あれ以来私は腑抜けの状態になりました 
以後のダイエーでの生活は流したようなものでした

転機は何時でもあります 
要は判断と実行力でしょう 
でも私には 貴兄と違って飛び出す勇気はありません

小学校時代の貴兄は大人しい方だったと思うのですが 東京で何十年振りにあった貴兄は逞しくなって居られました 

後何年生きられるか分りませんが準備だけはして置きたいと考え 身の周りの整理に追われていますが 出来るだけ長生きして 家内の供養もして行きたいと考えています

寒くなります 
そちらはもう雪が降ったそうですね 
どうかお大事に過ごされて下さい 
お元気で。

野村 昌平