Sunday, November 25, 2007

海外の暮らしを振り返って (2007/11/25)[s]
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またお邪魔します。 

この前のお便りには、いろいろ考えさせられました。

哲学者エピクロスは、幸福の条件として、自由と友達を挙げていたそうですね。

幸福とは、美味しいものを食べて美酒に酔うことではない。 そのご馳走を友と共にすることが幸福だと説いたというのです。 

その点私は一人で食べることが苦にならないのですが、それはアブノーマルな、人格失格者なのかもしれません。 幸福の真髄を知らないのは、鼻が悪くて花の香を楽しめない哀れな存在ということになりそうです。

もう一つ、自由の価値は、これは自明の理で、当然判ります。

自由を縛るものは、貴兄も指摘しておられるように、人間関係、特に上司や同僚との関係でしょうね。 

私がBBCで最も幸せだった時間は、夜11時、一人でスタジオに入り、番組を流していた時です。  日本では朝7時。 誰も聴いているはずがありません。 二重ガラスの向こうには日本語と無関係なイギリス人のテクニシャンが退屈そうに座っているだけ。 静寂と孤独を楽しむ至福のいっときでした。 

CBCに居た時も、最初はたった一人で仕事をしていたのですが、8年経って週一回日本に直接放送するようになった時、日本語を話すカナダ人女性が入ってきました。 日本に留学していた時日本人にチヤホヤされたのでしょう。 役に立たない人でしたが、職場の政争が得意。私のモントリオール転勤の際に居なくなりました。

モントリオールでは、二人の性格異常者が私の頭上にすわり、ほかにフランンス系カナダ人と結婚した日本人女性数人が雇われました。

 職場は地獄ではなかったものの、煉獄よりもひどい所で、私も縦皺が増え、人相も一段と悪くなりました。

結局モントリオールからの日本語放送は3年で打ち切りとなり、空中分解したのですが、私は思わず快哉を叫びました。 当時ロンドンに居た娘は、新聞でCBC国際放送解体の記事を読み、電話をかけてきたのですが、案に相違して私の声が明るかったのには驚いたと後日言っていました。

実は私もその時クビになったと思ったのですが、結局一人だけ居据わることになり、さらに5年間生き恥を曝しました。

私をBBCに突っ込んでくれたのは英国大使館の商務官ですが、彼と国際文化会館で食事をしていた際、「君も海外で暮らす方がハッピーじゃないか。 僕もそうだから。 どうだ、BBCに行ってみる気はないか」とポツリ言い出したのです。

その頃私は英国から機械を輸入して販売していたのですが、機械と数字が苦手。それに比べ言葉とアイディアを扱う仕事には惹かれる思いがしました。

転職したのは37才の時です。 そして65まで放送局に勤めました。

職を変わる時に、あるイギリス人が、「転職するなら、ペイがよいか、仕事が面白いか、ボスがいいかの三つの条件を考えて、そのうち二つがよければ変ったらよい」とアドバイスしてくれました。 確かにその二つが良かったので乗り換えたのですが、まだ東京に居た頃、漢方医が家内に「ご主人は50までもちませんよ」と告げたそうです。  渡英して3年後に休暇で帰国した際同じ漢方医に診てもらったのですが、「もう大丈夫」と太鼓判を押されました。 家内は今でも「もし日本に居たらとっくに死んでいたでしょうね」と言います。

海外に住むと、言葉の面で不自由なことがありますが、冠婚葬祭やしがらみの負担から解放され、不義理を重ねる横着者にとっては責任が軽くなるような感じがします。

寒さが加わりますが、くれぐれもお大事に。

Tuesday, November 20, 2007

秋本番となりました (‏ (2007/11/20[n]
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2007年11月20日

漸く落着いた天候になりました 
将に秋本番です 
家の2階からは遠く富士山の頂が見えます
7合目位から上は冠雪です 
冬場になると空気が澄んでいるせいでしょうか綺麗に見えます 
朝方と夕方のシルエットは美しく思わず息を呑むくらいです 
見せてあげたい処です

外地に住む人は大変だと云うのは失礼だと怒ったのは50歳の女性です 
湘南高校から慶応の経済学部に進み卒業してサントリーに勤務したのだそうですが 会社に馴染めず直ぐに辞めて同期の文学部出身の彼と結婚して今藤沢に住んでいます 
2人の子供が居るのですがその長女をユタの高校に入らせた関係で外国の事情に詳しく向うの生活にも理解があるのでしょう 
外地に居る人は苦労が多くて大変だろうと思うのは日本人的な感覚で無知だと 寧ろ可哀想なのはそういう風に考える日本人なんだ 井の中の蛙で国際的な感覚が無さ過ぎると云うのです 
その通りかも知れません 
私などは典型的な日本人なのでしょう 
こんな若い?人が増えて来ました 
10年後20年後には全く違った日本になるのでしょうか

貴兄の場合には悩まれたでしょうが潔く日本を捨てて外地に新天地を求めて飛び出されたその決心が素晴らしいと思います 
三越を心なくも捨ててダイエーに拾われた時に中内さんが3ヶ月アメリカに研修の名目で出してくれました 
恐らく三越での政争に疲れて飛び出した私を可哀想だと思い癒しの旅に出してくれたと思うのです 
当時ホノルルの郊外に進出したスーパーマーケットに約1ヶ月居たのですが その時に外国に住むのも良いかなと思った時期がありました 
人との付き合いが厭になったのです 
日本の会社には独特な雰囲気があります 
然し新しい会社だから三越で経験したような柵は無いだろうという思いは入って見たら脆くも壊されてしまいました 
新興の会社でも同じ風土があるのです 
でも今更引き返す事は出来ませんでした 
従って会社と言うよりは中内さん個人に仕えて25年を送りました 
会社勤めは哀れなものです 
サラリーマンとは人生の仮の姿だ、所詮会社は生活の手段を得る場に過ぎないとの思いが45年勤めた結論でした

今は幸せです 
家内は居なくなりましたが 自分の生活が自由に出来ます 
何時お迎えが来るのか分りませんが時間を大切にして自分のために使いたいと思っています

一昨日から泊り掛けで千葉の茂原市にある真名カントリーへ行って参りました 
此処はバブルの時代に北海道拓殖銀行がオーナーとなって造ったゴルフ場です 
ご承知のように北拓は倒産したので今何処がオーナーとなっているのか知りませんが豪華なゴルフ場でした 
併設して陸上競技の練習場の日本エアロビクスセンターを抱えており研修の場として使用されているようです 
その中の「トリニティ書斎」なるホテルに1泊し翌日あのゲイリープレィヤーの監修したコースでプレイして来ました  
鹿児島一中時代の同級生で日本陸連の副会長をした帖佐寛章氏がリタイアしましたので彼のお祝い会を8名で致しました 
我家から車で2時間掛かりましたが愉快な小旅行を楽しみました 
私は内地に住んでいますので友が多くこんな機会が持てるだけ貴兄よりいいかも知れません

寒さが厳しくなりました 
どうかお身体には気を付けてお過ごし下さい 
お元気で

Monday, November 19, 2007

海外で暮らしてみて (2007/11/19)[s]
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今日はこちらでは日本より一日遅れの11月19日。 気温は最高8度最低3度で、今日も雨を含んだ雲が垂れ込めています。 私のアパートは水際に近いので、外の温度は街中よりはちょっと低いかもしれませんが、終戦の年、鹿児島県の大口や山野で過ごした冬の方がよっぽど寒かったことを想い出します。

「外国で暮らすのは大変だろう」という貴兄の同情に、お友達の方が「失礼だ」とおこられたとうかがい、どうして礼を失することになるのかといささか案じています。 そういう反応もあり得ることを承っておきましょう。

海外生活は、確かにいろんな意味で大変でした。 私がカナダに来た時は、仕えるべき藩というか会社もなく、糸のような細い縁故もなく、ゼロからの再出発でした。 43才で、家族は妻と育ち盛りの子供5人。 半年は無収入を覚悟していたのですが、6ヶ月や6年どころか、定収入にありつくまで9年かかりました。 それでもカナダで一家7人飢えもせず、雨風を凌いで過ごせたのは、この国の社会保障制度のおかげでしょう。

私にとっての最大の苦労は語学です。 才能も天分もない私は、最近ますます英語が判らなくなって、見ざる聞かざる言わざるの障害者です。

移住後一時は印刷屋を志して、夜学に通い、ベースメントに印刷機も入れてみたのですが、牧師の世話でCBCの臨時雇いの仕事にありつき、それが後に定雇いとなって定年まで勤め、退職したような次第です。

初めて海外に出たのは昭和36年。 1年間、コロンビアに遊学しました。 生まれて初めて勉強らしい真似を試みたのですが、私の貧しい英語力では歯が立ちませんでした。 しかしハリウッド映画で親しんでいた豊かな社会の実態に触れ、大学に隣接する教会に出てみて、3000人の会衆が一斉に賛美歌を歌う光景をみた時は、「これがアメリカだったのか」と、映画では知り得なかった精神的バックボーンに接しました。 こんな国に戦争を挑んだ無知と無謀を痛感しました。 そして大学のまわりにも、マンハッタンにも大きな教会が沢山あるのに驚きました。

BBCに行ったのは昭和43年ですが、ニューヨークやロンドンもシビライズドソサエティ。 先進国への移動にはカルチャーショックはありませんでした。 5年後にカナダへ移住したのですが、私共には5人子供がいましたので、広い国なら大勢で移住しても闖入者として白い目でみられることも少なかろうと考えたからでした。 しかし文化的にはダウンウォードのムーブでした。 知日派のカナダ人が「カナダの人は田舎の人ですから、失礼なことがあります。 しかし根は悪くないのです」と言っていましたが、確かにその通りです。

もし鹿児島で親の商売を継いでいたらどうなっていただろうかと思うことがあります。 子供を東京の6大学の一つにでも送ることも難しかったのではないかと思います。 その点カナダの大学は授業料が安いし、入学金もない。 そして奨学資金がふんだんにあります。 それにカナダの大学は、格や質に差がなく、序列というものがありませんから、学閥も存在しません。 5人の子供達は誰も親に経済的負担をかけることなく無事卒業できました。 そして今では、親父の私が家族の中で一番低い学歴で、ブービー賞にもなりません。

それからカナダで有難いのは医療制度。 私も昨年2度入院しましたが、大部屋だったとはいえ、文句のない手厚い診療でした。 日本も皆保険で行き届いていますが、こちらの医者も看護婦も、皆機嫌よく、親切なので、よい思い出しかありません。

ロスアンゼルスにおける日系人の移住生活はどうでしょうか。 うちも子供2人がカリフォルニアに住んでいて、3人目もチャンスがあれば移ろうとしています。 若いものにはいい所なのでしょう。 私自身はこの夏2週間行ってみて、「もう結構」という気になりました。 妻も昔カリフォルニア大学を卒業したのですが、やはり「もう沢山」と、情報とチャレンジの渦巻きから外れたバンクーバーの田舎暮らしに満足しているようです。

ではどうかお元気で。

Wednesday, November 14, 2007

早速のメール、ありがとうございました (2007/11/14) [s]
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電話で懐かしい声を聞かせていただいた後、すぐにメールを頂戴し、まことにありがとうございました。 太平洋を越えて伝わってくるお声が、まるで隣と話しているような身近な響きで、しかも若々しくつやがるので非常に嬉しく楽しく話させていただきました。

家内は東京の高校を出てから5年間アメリカの大学に留学したのですが、その5年間に日本と国際電話で話したのは1回だけ。 その時は泣いたそうです。 しかし今は毎日午4時半になると東京の母親に電話をかけます。 日本時間の朝9時半ですが、日課になっています。

家内は、ハワイにいる妹と、2年ほど前まで毎年帰っていたのですが、来月94歳になる母親が、「二人の娘が一緒に帰ってきてくれるのは嬉しいが、其の後が疲れるから」と母親の要望で電話に切り替えることにしました。

私は学生時代自由が丘に下宿していたのですが、下宿先に電話がなかったので、辻堂の親戚に電話をかける時は、郵便局まで行って、市外電話がつながるのを待っていました。 その頃辻堂の電話は、グルグル取っ手をまわして交換手を呼び出す旧式なものでしたが、私が同和火災に勤めるようになってからも、鹿児島に電話をかけるのには随分長く待ったものでした。 

今は世界中にリアルタイムで交信可能。 ありがたいことです。 国際電話でモーニングコールをかけ、日本の知り合いを起こすこともできます。 

それに北元俊ちゃんとの交流が続いているのもEメールのおかげ。 上村兄や後藤兄がインターネットに背を向けているのは残念です。

寒さに向かいます。 お互いに風邪など引かぬよう、気をつけましょう。
お電話で話すことが出来ました (2007/11/14)[n]
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唯今は嬉しい会話が出来て満足しました
海外で悠々自適の生活を送っている方に大変だろうと思う事自体がおかしな事かもしれません

先日娘さんをロスの高校から大学に進ませた女友達に 私の小学校の同窓生にバンクーバーで
永住している友達が居ると話しましたら 外地で住む事が大変だというのは大変失礼だと怒られて
しまいました

彼女のご家庭はご夫婦とも塾員で同期生です 偶々当地の湘南学園という私立の学校があるのですが その中学生の時にロスに住む友人がアメリカで勉強しないかと誘われて高校から行き 飛び級で2年早く大学を卒業して旅行代理店に勤務したそうですが 10月に一時帰国し目下野村総研でパート勤務しています グリンカードの取得が目前で再度渡米するようです この湘南学園は慶応と縁があるようですが最近日経の「私の履歴書」に登場したスタンフォード大の名誉教授青木晴彦さんはこの学園の卒業生です

脱線してしまいましたが 何でも揃って居られる事でしょうが若しこれが欲しいというものがありましたら
ご遠慮なく仰って下さい お気遣いは無用です

師走も目前です どうかお大事にお過ごし下さい お元気で

Tuesday, November 13, 2007

メールとお電話ありがとうございました (2007/11/13)[s]
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メールをいただき、ありがとうございました。 何回もお電話をくださったとのこと、ノーアンサーで申し訳ありませんでした。 

あの電話番号(604-730-1342)は、数年前、一時期、末っ子の息子が同じ家に居候していたとき、息子にかかってくる電話が多かったので、息子が自分の声で、留守番電話のメッセージをいれておいたものです。 

息子が出たあとも、メッセージはそのまま残しておいて、今でも使っているような次第です。

次回、もしメッセージが作動するようでしたら、ただひと言 「ノムラ」とだけおっしゃっていただいて、そのまま電話を切っていただければ幸いです。 私にはほかに 「ノムラ」というお名前の心当たりはいませんから。

お便りに 「正午に三越の会合があるので出掛ける」とありましたので、時計をみて、今なら日本時間の10時半、ひょっとしたら間に合うかなと、ダイヤルしてみたのですが、既にお出掛けになったあとでした。

それにしても、三越の方々は、結束がかたいですね。 

こちらでは、従業員が 「働くのに喜びを感じる」中小企業を数社選んで、メディアがその順位を発表しますが、このところ数年一位を占めているのは、家庭のガラクタを集めて処理場まで運ぶトラック会社です。 中小企業とはいいながら、その電話番号は全国共通で、オーストラリアにも進出しています。

三越も、卒業生を大事にする会社なのですね。

私は、BBCに暫く働いていたことがありますが、あそこも面倒見のよい会社でした。

幹部や職員の個人的資質は、BBCもCBCもそれほど変わらないと思うのですが、BBCの場合、アメリカのマッキンゼーといったトップのコンサルタントに頼んで、マネージメントの改善をはかっていたことが、ひいては番組の質にもつながり、総合的な戦力がすぐれていたのではないかと思います。

三越も、その点、他社にない秘密兵器が伝統的に長く培われていたのではないでしょうか。

ハウスの大塚さんは、パソコンもVTRの操作も出来ないそうですが、娘の早子さんによると、毎朝4時に起きて、肉筆で手紙を認めていたそうです。 それもハウス発展の秘密武器の一つではなかったかと思うのですが。

私など、この年になって、「恥ずかしきことのみ多かりき」と悔恨の日々を送っているのですが、76になっては、反省してもやり直しがきかず、痛恨の限りです。

どうかお元気で。 寒さも加わりますが、お大事に。
一段と秋色が濃くなりました (2007/11/13)[n]
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晴天が2日続きました これで気候が定まってくれるといいのですが
お変わりなくお過ごしの事でしょう 私も元気です

さてここ2,3日時間を見計らってお電話してみるのですがコールサインはなっているのですが
貴兄は出て来られません 
お留守なんでしょう 
又機会を見てトライして見ます

特別の用事があるのではありません 
お声を聞きたかったのです

今日は11月14日(水)です
 
正午から三越本店で会合があり出掛けます
初めて社会人となり三越に入社した時に配属されたのが1階の化粧品売場でした
そこに女性の担当者が居て今90歳になられましたが 矍鑠として居られその人を囲む会です
20人位のOB・OGが集まります 

学卒でこの売場に配属されたのは私が初めてでしたが
苛められました 
今となっては懐かしい思い出です 

三越も変わりました 何せ伊勢丹と提携するようになったのですが 旧人にとっては腹立たしい感じです

寒くなります 
どうかお大事にされて下さい 
お元気で

Friday, November 09, 2007

11月特有の曇天が続いています (2007/11/09)
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北米大陸の北東の海岸は、雨雲のたれこめる日が続きます。 降っても傘はささないくらいの小雨かぬか雨ですが、数年前「雨祭り」を企画したところ、その年に限って晴天が続き、空振りに終わってしまいました。 お天気ばかりは住民の気持ちに同調してくれませんから、予定をたてるのは難しいことです。

ところで当地の日付けで10月30日に手紙を鵠沼宛てに郵送したのですが、届きましたでしょうか。 実は100ドル紙幣を1枚同封してあったので、一応書留にしておけばよかったのですが、万一お留守の時に配達されたりすると後で郵便局までわざわざ出向居ていただくことになっては申し訳ないと、普通の封筒のまま投函したのです。

アメリカドルも最近は凋落して値打ちがなくなり、かえってご迷惑ではなかったかとも思うのですが、お許しください。

間もなくクリスマス。 いつもなら早々とクリスマスライト道路や店頭を照らすのですが、今年は省エネのためかまだ華やかなイルミネーションも出足が遅いようです。

どうかお元気で。