海外暮らしも40年になりました (2007/02/13) [s]
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先日のお便りの中で、梅のことに触れておられましたが、昨日近所を散歩した時、こちらでも梅の花が咲いているのに気がつきました。 すぐ貴兄の歳時記が蘇ってきました。
バンクーバーにも春がゆっくりしたテンポで訪れています。 それにしても湘南の暖かさには驚きます。 一方暖冬をかこっていたカナダの東部では、今になってマイナス30度40度の厳寒が押し寄せています。 南のアメリカでは2メートルの積雪だと聞くと、雨は多くても、滑って尻餅をつくことのないバンクーバーの方がまだましだと、寒さに弱い臆病者はホッとするのです。
御社の卒業生はまとまりが良いですね。 感心します。 本社でもエンカレッジしているのでしょうか。 伝統のある会社ですから、卒業生の人達もプライドをもって、古き良き日を懐かしんでいるのでしょうね。
私も海外生活40年になりました。 親しい友達はこの地には居ないのですが、別段にホームシックになったことはありません。 一人でいるのが大好きで、淋しさや退屈は知りません。 友達がないとアルツハイマーになる確率が高いのではないかと、シカゴ大学で調べているそうですが、まだ因果関係は明らかにされていません。 しかし他人と口を利かない時間が多いと、精神衛生の面で危険だろうという発想には頷けます。
昔鹿児島で、同業者に、「ないごて東京なんどへ行っきゃとな。 親の店があっとに」 と言われたことがありました。 しかし一度東京に出ると、故郷には戻れなくなる人が多いのではないでしょうか。 恒川民雄君は富山の菓子屋の一人息子だったと思うのですが、父親が亡くなって一応家業を継ぐつもりで富山に戻りました。 しかしどうしても我慢できなくなって、故郷の人達の批判を振り切って、東京に戻ってきたと言っていました。
私が海外に出かける時も、ちょうど高校を終えて上京する時のような気楽な気分でした。 学校で英語を勉強しなかったので、貿易のコレポンに苦労しました。 30代で子供が既に3人いたので今更学校というわけにもいかなかったのですが、BBCのチャンスがあったので、BBCなら黙っていても英語がうまくなるだろうと考えました。 しかし黙っていたらやっぱり上達しませんでした。
ロンドンにいた間に双子が生まれて、子供が5人になったので、土地の広いカナダへと、移住の申請をしたら、幸運にも許可されました。 CBCも最初日本人は私一人だったのですが、一人ぼっちが大好きなので大いにエンジョイしました。 後に所帯が大きくなって日本人を沢山現地採用してからは、職場も私にとっては地獄ではないにしても煉獄より悪い所となりました。 その職場も予算カットで3年で空中分解。 私だけが取り残されて65の定年まで恥をさらすことになりました。 CBCでも大勢の人がリストラされるのですが、定年まで図々しく居座ったのはその年私ともう一人だけ。 肩たたきを受けたのでしょうが、フランス語に聾唖だったので、サインをミスしたのでしょう。
しかし40年も英語国に暮らしても言葉に不自由なのは、頭が年々悪くなっていくからだろうと思います。
(07/02/13)
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先日のお便りの中で、梅のことに触れておられましたが、昨日近所を散歩した時、こちらでも梅の花が咲いているのに気がつきました。 すぐ貴兄の歳時記が蘇ってきました。
バンクーバーにも春がゆっくりしたテンポで訪れています。 それにしても湘南の暖かさには驚きます。 一方暖冬をかこっていたカナダの東部では、今になってマイナス30度40度の厳寒が押し寄せています。 南のアメリカでは2メートルの積雪だと聞くと、雨は多くても、滑って尻餅をつくことのないバンクーバーの方がまだましだと、寒さに弱い臆病者はホッとするのです。
御社の卒業生はまとまりが良いですね。 感心します。 本社でもエンカレッジしているのでしょうか。 伝統のある会社ですから、卒業生の人達もプライドをもって、古き良き日を懐かしんでいるのでしょうね。
私も海外生活40年になりました。 親しい友達はこの地には居ないのですが、別段にホームシックになったことはありません。 一人でいるのが大好きで、淋しさや退屈は知りません。 友達がないとアルツハイマーになる確率が高いのではないかと、シカゴ大学で調べているそうですが、まだ因果関係は明らかにされていません。 しかし他人と口を利かない時間が多いと、精神衛生の面で危険だろうという発想には頷けます。
昔鹿児島で、同業者に、「ないごて東京なんどへ行っきゃとな。 親の店があっとに」 と言われたことがありました。 しかし一度東京に出ると、故郷には戻れなくなる人が多いのではないでしょうか。 恒川民雄君は富山の菓子屋の一人息子だったと思うのですが、父親が亡くなって一応家業を継ぐつもりで富山に戻りました。 しかしどうしても我慢できなくなって、故郷の人達の批判を振り切って、東京に戻ってきたと言っていました。
私が海外に出かける時も、ちょうど高校を終えて上京する時のような気楽な気分でした。 学校で英語を勉強しなかったので、貿易のコレポンに苦労しました。 30代で子供が既に3人いたので今更学校というわけにもいかなかったのですが、BBCのチャンスがあったので、BBCなら黙っていても英語がうまくなるだろうと考えました。 しかし黙っていたらやっぱり上達しませんでした。
ロンドンにいた間に双子が生まれて、子供が5人になったので、土地の広いカナダへと、移住の申請をしたら、幸運にも許可されました。 CBCも最初日本人は私一人だったのですが、一人ぼっちが大好きなので大いにエンジョイしました。 後に所帯が大きくなって日本人を沢山現地採用してからは、職場も私にとっては地獄ではないにしても煉獄より悪い所となりました。 その職場も予算カットで3年で空中分解。 私だけが取り残されて65の定年まで恥をさらすことになりました。 CBCでも大勢の人がリストラされるのですが、定年まで図々しく居座ったのはその年私ともう一人だけ。 肩たたきを受けたのでしょうが、フランス語に聾唖だったので、サインをミスしたのでしょう。
しかし40年も英語国に暮らしても言葉に不自由なのは、頭が年々悪くなっていくからだろうと思います。
(07/02/13)
