Wednesday, March 29, 2006

「メールには何時も感心しています」(06-03-29)[n]
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桜が満開になりました  例年より1週間早いそうです  今週末は 花見客で 何処も大変でしょう 私共も 明日31日 近くの公園で 観桜会を開催する事になっています 唯、私は 午前中に 主治医と面談する予定がありますので 行けるかどうか分りません 年に1回の花見ですから 行きたいのは山々なのですが

バンクーバーは 至る所 花に恵まれているとの事で 羨ましい限りです  最近こそ 都市の美化が叫ばれ 遅まきながら 公園の整備と共に 道路沿いに 樹木や花壇が目立つようになりましたが 外国に較べると 相当に遅れています

美的感覚は 決して 外国人に劣ってはいない と思うのですが 伝統と言うか 文化の度合いと言うか 違いを感じます

それと 経済至上主義なる 戦後の流れが 邪魔したように思うのです 

追い付け追い越せとの 短絡的な考えから 余裕が無かった と言うより 敢えて無視して走ったせいかも知れません

気配りとかについては 本来は 優れた面を持っていたのでしょうが

メールで拝見したように 外国での教育は 個人を中心に 徹底して行なわれている

チューター制度での訓練など 学生のうちに鍛える という 指導方針がハッキリしている

これに対して 日本の教育は 敗戦による 与えられた民主主義 そして 米国主導に依る 従来の教育方針とは正反対の 天から降って来たような教育方針

従って 延々と 昔からの積み重ねみたいなものは無い  付け焼刃みたいなもの

今の日本に蔓延しているのは 浅薄過ぎる思想と それを巧みに利用した 所謂オピニオンリーダーなる 軽佻浮薄の人が跋扈している点に 問題があるように思うのです

尤もそれに乗せられる一般人が 余計悪いのですが

戦後 思想家なる存在は居ませんでした  

戦争前、戦争中 そして戦後と 思想的には 荒れた土壌が続いたのですから 育たなかったのかも知れません 

そんな事を言えば あの明治維新当時は もっと凄まじい時代ではなかったでしょうか 

その時代に あれだけの思想を持った人物が輩出し 江戸時代を終焉に追い詰めたのですが 何故今は こんな時代になったのか

教育の在り方 中でも 大学の役割が重要になって行くのではないでしょうか

もう一度勉強をしてみたい と思う事があります  実際に 社会人を受け容れている大学から 講義の内容を取り寄せた事があります  実現しませんでした  自信が失せたからでした

ダイエーの中内さんは 70歳台の後半から 慶応ビジネススクールに聴講生として入り 会計学を学んだそうです

83歳で 自動車の運転免許を取りました  R66を自分の運転で走らせたいと言っていました

メールを拝見すると 英国、カナダで生活をされたからでしょうか 普通の日本人と違い モノの見方がワールドワイド的と感じます 

鎖国主義に慣れた日本が 欧米に遅れたのは 狭い島国根性から抜け出せなかった 事の 善悪の判断基準が無かったのではないでしょうか

昨日から冬に戻り 北風が吹き荒れています  これを繰り返しながら 本格的な春が来るのでしょう
庭には桜がありませんが 今は椿が満開です  色とりどりの花を咲かせています

それではお元気で

Saturday, March 25, 2006

今日も学校の話になりますが(06-03-25)[s]
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北半球は今どこでも桜の盛りでしょうか。 バンクーバーも数万本の桜が爆発したような勢いで、ピンクのトンネルがいたるところで東西南北に広がっています。 花は2月から咲き始めますが、道によって色々異なった種類の街路樹が植えてあるので、長い期間楽しめます。 住宅街のみならず、ビジネスセンターでも見事な花が見られ、チェリーフェスティバルがあるところをみると、都市のプランナーが、昔苗木を計画的に植えてくれたのでしょう。

貴兄の大学在学中は、先生との触れあいがなかったとのことですが、経済や法科のエリートコースでは、そんなこともあったのですね。 私は、燻んで冴えない東洋史でしたから、同級生は男子ばかり4人。 先生は5人。 おかげで「4番で卒業した」といえます。 

1年の時に、池田弥三郎という国文学の泰斗に「忠臣蔵」を教わりました。 先生は銀座の「天金」の息子とか。 泰明小学校から市立一中、そして慶應へ進んだチャキチャキの江戸っ子。 新聞やテレビの寵児になる前だったので、受講者は私一人。 格調高い台詞で歌舞伎の真髄を演じてくれましたが、私一人には勿体ない名講義でした。 

もう一人、池田潔という英語の先生がいました。 その著書「自由と規律」は、イギリスのパブリックスクールの学風をみずみずしい筆致で描いた名著ですが、教室ではあまり機嫌が良くなく、かつ単調な授業で、意外でした。 

池田先生はケンブリッジの出身ですが、私も1962年一夏をケンブリッジで過ごす機会がありました。 そして、チューター制度について聞きました、 学生は一対一でチューターの指導を受けるわけですが、チューターは学生に、あえて反対の立場をとらせて、議論を進めていくのだそうです。 ソクラテスもプラトンも対話方式だったそうですね。 そういう対話による知的訓練を受けて、批判精神と表現力を養うイギリスの学生は幸せです。 

それでもイギリスの国力は1970年以降衰退する一方ですね。 そして今は中国とインドが急成長している。 そんな現象を判りやすい言葉でどなかたかに教えていただきたいものです。

日本の大学のゼミが、教師の独りよがりだったというのは残念ですね。 うちの次女はコーネル大学から東大の大学院に留学したのですが、ゼミは上野千鶴子先生の独演場で、学生は誰も発言しないことに驚いていました。 娘は今スタンフォードの研究生ですが、キャンパスでは独立したオフィスを貰っており、それが塾監局の学部長室より広くて調度も立派なので、私はアメリカの大学の寛大なことに驚くばかりでした。

コロンビアのビジネススクールでは、MBAを取る前に、英語のプロフィッシェンシーテストを、アメリカ人でも受けなければならないのですが、経営者にとってコミュニケーションがいかに大事かということを示すものと解しました。 慶應や一橋で、将来経営者になる学生に、国語のテストを行うことなど、考えられるでしょうか。

家内は、1955年に留学し、最初はイリノイの小さなクリスチャンカレッジに学び、後にカリフォルニア大学バークレー校からBAを貰いましたが、親切だったイリノイのカレッジに比べ、カリフォルニアでは、先生との関係もインパーソナル。 先生も、POP(Publish or perish)のプレッシャーの中で、学生のことなど構ってくれなかったと記憶しています。 

経済学部で教わったことが実社会ではあまり役に立たなかったということですが、文学部の勉強などなおさらです。 工学部の前身、藤原工大を創る時、藤原銀次郎翁は「直ぐ役に立つ人間が欲しい」と要望されたところ、創立の学長が「直ぐ役に立つ人間は直ぐ役に立たなくなる」といましめて、藤原翁も納得したとか、聞いたような気がします。

フォードの社長からクライスラーに転じたリーアイアコッカは、自伝の中で、東部の大学の工学部を出てプリンストンの大学院に進んだが、実社会で一番役に立ったのは心理学。 そして社会に出てからはデールカーネギーのコースだったと述べています。 

WBCの快挙に国を挙げての喜びがあふれたようですね。 私は残念ながら、TVでも観るチャンスがありませんでした。 荒川静香さんの演技もついに観ずじまい。 残念だったのは、数年前、高橋尚子選手のマラソンも見逃してしまったことです。 

うちのテレビは、一昔前の中国製13インチ。 音もモノラルで、その上、私の弱い視力が災いして、ボーッと霞んでしまいます。 そんな次第で、隠遁者はスポーツのイベントにも縁がなく、ますます時代から取り残されています。

Wednesday, March 22, 2006

今日本では教育基本法の改正が国会で話題になっています(06-03-22)[n]
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相変わらず定まらぬ陽気です でも暖かくなりました 東京は 昨日3月21日に 桜の開花宣言が出ました
1週間後には満開となるでしょう 藤沢でも咲き始めました 散歩の途中に彼方此方で見る事が出来ます
 
ワシントンのポトマック河畔の桜は有名ですが バンクーバーでも桜の名所があるのでしょうか
私達は 鵠沼三越会として 近隣の公園で 毎年観桜会を開催しています 昔ながらに茣蓙を敷いて 車座になって 花見ならぬ お酒を飲んで楽しんでいます

貴兄からの 欧米の大学の在り方を伺うと 私の大学生活は何だったのだろう と残念に思います
教師との触れ合いは 全くありませんでした クラスメイトとの付き合いも お座成りでした
年に1回 銀座の交詢社でクラス会を催しますが 某クラスメイトの言に依れば 大学のクラス会は 一番縁の薄い集まりだと嘯いています 学校側の管理上作られた集団だと 確かにそんな気も致します

ゼミでもそうでした 教師の独りよがりだとの思いも強くありました 
他の大学は知りませんが 慶応について言えば 余りにも実学の色が強かったように思います 
経済界に人物を輩出したのですから そうなってしまうのかも知れませんが せめて大学に入ったのですから
受験を控えて 人生そのものに対する考え方自体に未熟さがあり それを補う意味での役割も持つ大学であって欲しかったと思うのです

4年後に実社会に送り出すために 大急ぎで詰め込む その為には青臭い人生論など不必要だ 否そう言う論議すら行なわれなかったのでしょうか
でも流通分野に進んだ私には 学問は役に立ちませんでした 大学で学んだ事が役立つたと思う人は居るのでしょうか

三越を捨ててダイエーに入りましたが その動機の一つに 合理主義に憧れた面があります
然し リタイアした今 振り返ると アメリカナイズされた中内さんにも ダイエーという会社にも 突き詰めると 所詮は 人間性というか 人格というか 会社の命運はそんなものに左右されると言う気持ちを持ちます
 
ワールドベースボール大会で日本が優勝しました 日本全国沸き返りました いい年をした壮年、老年だけでなく 若い人 それも女性を含めて 日本!日本!と嬉し涙にくれていました 国の存在そのものに関心を持たない若い人達が 良かった、良かった と騒ぐのを見ると 不思議な感情に襲われます
と同時に 若い人達よ 君達も日本人なんだと見直ししました

上手に言えませんが 複雑怪々な気持ちです

人が訪ねて来たようですから今日はこの位で終わります
どうかお元気で

Saturday, March 18, 2006

長い返事になりまして(06-03-18)[s]
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お独りの生活でも、いろいろ家庭の枠を超えるご心痛がおありの模様。 特に奥様のご容態をうかがうと、胸が痛みます。 

しかし、まわりを見回しても、十字架の重荷を負う家族が殆どのようですね。 TVのコマーシャルのような笑顔の家庭とは、実在するのでしょうか。 家庭のみならず、職場や社会での、人間関係のもたらす重圧に喘ぐ人達も多いことでしょう。 

慶應での大学生活は期待はずれだったということですが、私も文学部の4年間が無駄だったことを、後にコロンビア大学に1年遊学してみて感じました。 これは慶應だけの問題ではなくて、日本の多くの大学で、同じようなことが言えるのではないかと思います。 

終戦後アメリカ式の学制を取り入れた時に、仏作って魂入れずの作業だったことは、ラジオのフランス語講座の前田陽一先生が、アメリカの大学を訪ねてみてそう感じられたそうです。  

私がニューヨークに行ったのは昭和36~7年。 都留重人先生の「米国遊学記」に描かれた時代とは30年の隔たりがあったのですが、当時評判になった「なんでも見てやろう」という留学体験記に比べて、より真実に近いように思いました。 エマソンが「英国印象記」で、当時のイギリスの大学について感じたような雰囲気が、二十世紀のアメリカでも感じられました。

私がロンドンの夜学で日本語を担当していた時、クラスを取っていたレディング大学の美人の化学者が、「先生も東京大学ですか」と言いますから、「とんでもない。 私が行ったのはプレイボーイの行く学校で」と答えると、「アア、ケイオウデスカ」とやられました。 国際的にもその面では有名だったんですね。

慶應の学生の中には「某先生は一橋に受からなかったから慶應に来たんだって」と失礼なことを言う人がいましたが、ある程度真実をついていたかもしれません。 山形屋の会長社長が、「七高に受かったんだが、早く東京に行きたくて、慶應にした」というケースもあります。

高橋誠一郎先生は、芸術院長でしたが、慶應の先生で、学士院の会員になった学者はどれだけいたのでしょう。 

学生の一人は、「親父が小泉信三の愛読者で『お前、慶應に行け』と言うから来たんだ」と言っていました。

勿論偉い先生も大勢居るのでしょうが、伝説的な教育者は、これから出現することでしょうね。

それにしても、ドイツ語の先生がヒルティの哲学論を取り上げるとは乱暴な話ですね。 英語でも、マコーリーとかJSミルなんて、アメリカのインテリでも読まないでしょう。 日本語の勉強にお経を読ませるようなものではないかと疑います。 

アメリカの学校では、答案はすべて添削して、文法の誤りまで直して、返してくれました。 授業の始まる前には、先生がオフィスに詰めていて、何でも相談に乗ってくれる。 学生一人一人にアドバイザーがつき、コースの選択についてアドバイスしてくれる。 

慶應でも先生によっては「アメリカ式に厳しくしよう」と言う人もいましたが、採点した答案を返してくれたとは聞いたことがありません。

図書館は学生が自由に書庫に入って、書棚から本を取り出して、通路の小机で、文献を調べることができる。 夜は11時まで開いていましたが、その前にカリフォルニア大で勉強していた家内は、「バークレイでは夜中の12時まで開いていたのに」と、コロンビアのは閉館が早過ぎると思っていたようです。 三田は夜9時までだったでしょうか。

アメリカの大学は授業料は高いが、入学金という「やらずぶったくり」的ものはありません。 もし途中で退学すれば、授業料を返してくれます。 それに、先生の指導も学校のサービスも、高い授業料に見合うだけの値打ちがあったと思います。

日本の入試は半日のテストで運命が決まりますが、こちらでは内申書と共通テスト。 高校で成績の悪かった人でも、良い大学にスペシャルスチューデントとして登録し、聴講できます。 そして試験を受けてパスすれば、正規の学生に昇格します。 

大学で成績の悪かった奥手の人でも、大学院で、敗者復活が可能。 慶應の人でも、東京では然程頑張らなかったかもしれませんが、素質のいい人は、アメリカのシステムに溶け込んで、結構いい成績を上げる人もいたらしいです。 私にはとても無理でしたが。

ところで、貴兄が「大学の成績が悪かったから」というのは、信じられません。 貴兄独得の修辞だろうと思います。 それでも昭和30年頃というと、不景気で就職難だったのでしょうか。 忘れました。 高木寿一という就職部長の先生が「面接の時は、相手のネクタイの結び目を見よ」と言われたのを思い出しました。

Thursday, March 16, 2006

「暫くご無沙汰いたしました」(06-03-16)[n]
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3月も半ばを過ぎました  此方も其方と同じで 雨が多くなりました  そして風も強く吹く日がある 三寒四温を繰り返しながら 本格的な春になって行くのでしょう

暫くご無沙汰したようです  家内の事やらで忙しい日を過ごしていたのです 

家内が 食事を口から摂取しないものですから 経口管を鼻から入れて 流動食を取っていました 

それがもう1年半位続いていたのですが 最近戻してしまい 胃が痛むと言うので検査した処 胃が炎症しているとの事で 今は点滴をしている状態です

昨年初め 子宮体癌の手術をしたのですが 何せ鬱病の患者ですから 後始末が充分行なわれず 今回も転移を心配していますが 内科医は無いと言ってくれますものの 案じています

加えて 今入っている病院での治療が満足出来ず 思い切って 私の住まいの近くの介護付き老人ホームへ移したらと考えて 今施設を見学したり 医者と相談したりしています

家内は70歳ですが もう20年来の病人で 頼りにするのは私だけですから 何とか応えて上げたいと願っています

引退したら 楽な自分本位の生活をしたいと思ってはいたのですが 世の中思うようにはなりません

後藤日郎さんの奥様は お元気なご様子です  時々電話するのですが 日郎さんに振り回されている様子です

彼はお殿様の生活をしているのではないですか 

奥様が 私に 彼は我儘だからさぞ迷惑を掛けているでしょうと 言ってくれます 

朝はお風呂に早々と入り 夜は早くからお休みだそうです 

お酒好きですから 昼間は相手を見付けては飲んでいるのではないですか  でも行き付けのスナックが閉店したそうですから 困っているでしょう

この前のメールで 国鉄の藤沢駅長が東京駅長に替わるという話をされていましたね  家内の高等学校時代の同級生のお父さんも その経路を歩かれたと聞いています  確か加藤さんと言われました

慶応での生活は 余り記憶に残っていません  それは 入学して失望したからです  

特に前半の教養課程は 高校の延長でした  大事なカリキュラムの説明も疎かでした  大学とはこんなものかと呆れました

ドイツ語の栗林先生が ヒルティの哲学論を教科書として採り上げましたが 全くのチンプンカンプンでした
邦訳の哲学論そのものが難解でした

唯一印象に残っているのは 必須科目の英語を教えて下さった加藤道夫先生でした 奥様が文学座の女優さんとかで 確か文学部の教授でしたから 貴兄はご存知かも知れません 教壇に腰掛けて 話されたお姿を覚えています  夏休み明け壮烈な自殺を図られて 亡くなり ショックを受けました

それと三田で聴いた高橋誠一郎先生の講義でした  400人収容の大教室での授業でしたが ウイットに富んだ 飄々とした 枯れた講義は 人気がありました

でも4年間で慶応から学んだ事は余りありませんでした
 
いざ就職する時には 成績が悪かったために 学校推薦の枠に入れませんでした

一計を案じて 縁故募集しか受付なかった三越を受験して 運良く入りましたが 此処に入った事が良かったのか悪かったのかは分りません

ご承知の通り 当時は東の三越、西の鐘紡と言い 塾員ばかりで固めていました

何せ三越入社当時は 24人中18人が慶応だったのです  300名ばかりの塾員が居ました

住み心地は良かったのですが それだけに驕りがあり 今の三越に成り下がったように思います

塾との関係は そういう訳で復活し 社長秘書の仕事柄 更に深まりました

塾にも度々伺い 塾長にも接しました  卒業してからの方が 塾との関係が出来ました

大学院は 貴兄の言われるように 就職の予備軍みたいな存在でしたね

今は当時と違い 特に理工関係は 企業の垂涎の的になっているようです

早稲田の低迷に比べ 慶応の評価は高いのですが それでも大学の在り方には疑問があります

庭の梅もソロソロ終わりです  白梅が先に咲き 枝垂れ紅梅は今見頃です 強風にもメゲズ 頑張っています

桜の開花は 今年は例年に比べ早そうです  当地は25日~月末の予想です

近隣の三越OB・OGで 月末に公園で花見会を催す予定です

お身体の具合は如何ですか  どうかお大事に過ごされて下さい お元気で

Wednesday, March 08, 2006

「三月は風の季節」(06-03-08)[s]
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「マーチ ウィンド、エープリル シャワー」というのはイギリスだけのことかと思っていたのですが、バンクーバーも多少イングランドに風土が似ているせいか、このところ風が吹いて、樹木の枝や葉が揺れています。

藤沢の駅で、逸志兄に会われたそうですね。 人生にはそういう出会いが時々あるものですね。 彼も悠々自適の境遇でしょう。 私のような幽々自擲とは違います。

藤沢駅といえば、昔一頃、藤沢駅長が東京駅の駅長に転任するパターンが続いたことがありました。 大阪駅や上野駅よりも、すごろくの上がりに達するには、藤沢駅ぐらいの距離がいいのかもしれないと思ったことがありました。 いずれにしても、鉄道人生のエリートコースなんでしょう。

ところで日郎兄と話していても、警視庁に勤める息子さんのことや、妹さんの亮子さんの消息を聞くことはあっても、奥さんの話題が出てきません。 彼のバリアフリー、自家発電の邸宅や、ローズガーデンのことは羨ましく聞くことがあっても、「では奥さんによろしく」というきっかけがありません。 ご健在なんでしょうか。

彼の御父君は七高の心理学の先生だったとうかがい、私も文学部に在籍しながら、心理学に関心がなかったことを、いささか悔やんでおります。 リー・アイアコッカの自伝によると、彼は工学部の出身でありながら、「大学で学んだコースで一番有用だったのは心理学だった」そうですから、私は絶好のチャンスを逃したことになります。

私は、慶應の大学院から鹿児島の短大の先生となった心理学者と親しかったのですが、彼によると「鹿児島の短大の学生の方が慶應より質がいいよ」と言うのです。 彼の家は学者一家。 それが真実そう思っているような口振りでした。 一高女にあった女専の後身で、戦後短大になったのですが、その頃鹿児島で高等教育を目指す女性は真面目で優秀だったのでしょうね。 

彼が「大学院なんて実にやさしいんだから君も来たらいい」と言い、その奥さんも「東京女子大では成績も普通だったのに、慶應に入ったらべたべたAがついちゃって」卒業の時は時計組。 その奥さんも「大学院て遊んでいるようなもの」とけし掛けてくれたのですが、無試験に釣られて同和火災に寄り道した心算が運の尽き。 37才でラジオに辿り付くまで無為に過ごしました。

我々の頃の大学院というと、他の学部でも、学卒で第一志望の所に入れなかった人の緊急避難所。 それに学制改革から日が浅く、アメリカ流の制度が、仏作って魂入れずの状態だったのではないかと思います。 

カナダ移住の申請には、一流であろうと三流であろうと、とにかく大学院と名のつく所で年数を稼いでおけば、単なる学卒よりも点数が増えて有利です。

しかし、イギリスでは、有名なパブリックスクールに行けば、オックスフォードやケンブリッジに行く必要はないそうです。 オールドボーイのネットワークで、ザシティの特権階級になれるそうですから。 まして大学院なんていうのは、中流から下層階級の秀才が敗者復活をめざすところのようです。

アメリカでも、ハーバードのカレッジなら、それ以上勉強する必要は無い。 ハーバードの大学院は、州立大学の卒業生が研鑽する場と、都留重人の「アメリカ遊学記」に書いてあったように思います。 都留先生が勉強したのは70年も昔のことと思われますが、今でもさほど変わっていないのかもしれません。

Saturday, March 04, 2006

今は梅が満開です(06-03-04)[n]
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お元気なご様子で何よりです 此方は今が梅の花が満開です 我家の白梅も咲き始めています
毎日散歩で1万歩あるいているのですが 所々に梅の花を見掛けます 古木に咲いているのは如何にも日本的ですが 桜の花のように華はありません 今年は寒さのため1ヶ月も遅く咲きました

早春になって雨が多くなりました 今週も1日置きに晴れと雨が繰り返すようです 気温は日中は10度を越す日が多くなりました 例年 桜の季節には 藤沢市の北にある大庭城址公園に友人を誘って花見に出掛けます
この公園は 太田道灌の作です 500本位あるでしょうか 昔ながらの習慣で 茣蓙を敷き 車座になってお酒を飲むのです 会社勤めの時代には考えもしませんでした それだけ年を取り 子供の時に戻った証拠でしょうか
利害関係の無い友人との集まりは 楽しいものです

先日上村逸志ちゃんが上京して来ました 3月には出て来ると聞いていたのですが 2月25日(土)のお昼に
後藤日郎さんから携帯に電話があり 今逸志ちゃんと藤沢で飲んでいると連絡がありました 折悪しく私は
その日の午後約束があり 横浜へ出掛ける寸前でしたので 電話で話したのでした 

そして本当に偶然にも JR藤沢駅の構内で 逸志ちゃん夫妻と会ったのです 先方も驚いていました 彼も相変わらず元気です
娘さんが大船に嫁いでいて 時々お孫さんに会いに来るようです 今年の秋には 又附属の同窓会に出掛けなくてはなりません

トリノオリンピックが終わり 今度はバンクーバーでの大会ですね 日本では 5個のメダルを期待していたのでしたが 金1個に終りました でも最後に登場した女子フィギィアでは 荒川選手が見事な演技を披露してくれて 溜飲を下げました テンション民族ですから 何か無いと満足しない気質があります 何回となくあの演技を見ましたが素晴らしいものでした 

此方では あの影響が出て フィギィアとカーリングを教わりたいと リンクに人が押し寄せているそうです

目の具合が悪そうで心配です 私は左1.2、右0.3というビッコの目です 従って新聞は近視の右で見る事になり 老眼鏡は持っていません 色彩がハッキリしないのは不自由でしょう お察しします でもこの年になれば 誰でも何か問題を抱えています 共生して行く以外に方法は無さそうです

それでは又 お元気でお過ごし下さい

Friday, March 03, 2006

カライモ普通語(06-03-03)[s]
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トリノのオリンピックも終わり、バンクーバーでは4年後に備えて、秒読みの段階に入りました。

バンクーバーの市長は、スキーの事故で歩けなくなり、車椅子でトリノにも出かけましたが、車椅子ということが注目を惹き、海外のメディアからもインタビューの申し込みが殺到したそうです。 「最低のスキーヤーが冬季オリンピックの代表になるとは」とご本人もジョークを言っていました。 市役所には、トリノから持ち帰った五輪旗がひるがえっています。

この辺でも桜が大分咲いているようですが、私の目には、花曇りの空が背景では、折角の白い花も、バックの灰色にダブってしまって、その良さを満喫できません。 そのうち日本晴れの日がやってくることでしょう。

ここに住んで2ヶ月あまり。 まだ待望の散歩もしていませんが、食料品の買出しにお供して、近所を歩き回っています。 昔の日本の主婦と同じになったなあと感じています。 歩いて15分以内のところにスーパーが5軒あり、うち一軒では日本語が通じるので、こちらも日本語で話しかけるのですが、その中年の白人キャッシアー、10年前に日本に1年8ヵ月いただけというのに、早口でペラペラ。 私など、英語国にもう40年近く住んでいても、言葉が出てきません。 「ぶらり途中下車の旅」のダニエルカールさんの山形弁に驚嘆するのみです。

英語だけではありません。 私はアナウンサーでしたから、日本語にも苦労しました。 NHKあたりのアナウンサーが聖書か神様の如く思っている、日本語アクセント辞典の編集者、国学院大学の平山(?)先生。 この人のインタビューをテープで聞きましたが、先生は都城のご出身。 中学の時に麻布中学に転じられたというのに、そのインタビューではあくまで純粋のカライモ普通語。 中学から東京に行き、アクセントの権威になっても、子供の時の言葉は消えないのだなと、多少嬉しくなりました。 私も、今は日本人とは一切コンタクトはなく、時折電話で弟と話す時は、鹿児島弁ですから、カライモ一色に染まっています。