Wednesday, June 21, 2006

鹿児島NOW拝受しました(06/06/21)
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ご恵送いただいた鹿児島のグラフ資料、ありがたく拝受しました。

ほかに色々ご用もおありになるでしょうに、お忙しいところを郵便局まで足を運んでいただき、郵送料金も高かったでしょうが、心から感謝申し上げます。

今日は暦の上では一番日が長いのですが、鹿児島の陽光は一段とまぶしかったのでしょうね。 住んでいた頃は特に気付きませんでしたが、よそから鹿児島にきて、昼寝をしようと目を閉じても、外の明るさがマブタを通じて感じられると言っているのを聞いて、そんなものかなと思いました。

カナダでは、皮膚癌になる人が多いのですが、北国ですから、寒くなると、フロリダ辺りに避寒に出かけて、何週間も肌を焼くからでしょう。 私なんかメラニン色素が多いのですから、白人に比べて、皮膚癌になる可能性は薄いのではないかと思うのですが、それでもラジオで毎朝うるさく、「日焼け止めクリームを」と言うので、ひと瓶薬局で買いました。 それでもサングラスだけは外せません。 黒眼鏡にステッキと、盲人スタイルを気取っています。

どうかご自愛ください。

Friday, June 16, 2006

真夏の思い出 (06/06/16)[s]
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季節感にあふれる御便りを拝見しながら、貴兄の胸に抱かれる寂しさが察せられるような気がして、心を打たれます。

もう夏至ですね。 これから段々日が短くなるわけですが、何もしないうちに、時が飛び去っていき、2006年が過ぎるのもアッという間でしょう。

私も海岸に近いので、よくサンセットを見に行きます。 日没は現在午後9時頃です。 暦の上ではミッドサマーでまだ本当の夏とは言えませんが、海岸や町の雑踏の中で、年寄りが半ズボンで歩いているのをよく見かけます。 それでも若い女性はジーンの長いパンツをはいて脚線美を隠している人が多く、目の悪い私でも、お尻の下に長く伸びた脚や色とりどりの茶髪金髪はぐらいは見えます。 半世紀前、まだ駆け出しのサラリーマンだった頃、夕暮れの銀座の三愛の辺りで、若い女性のスリーブレスの腕が眩しかったことを思い出します。

今のアパートに移って半年。 車はほとんど使わなくなりました。 どこへでも歩いて行って用が足せます。 一昨日は税務署まで歩いて行ったのですが、そんな野暮な所も歩いて行ける距離にあります。 「申告の計算が不備だから40万円払え」という野暮用です。 しかし相談員に会ってみると、不備なのは税務署の方で、追徴金は帳消し。 しかも私が準盲目だというので、これからは優遇措置を認めようということになりました。 不吉な税務署詣でと思ったのですが、程よい散策に終わりました。

鹿児島の刊行物をお送り下さるとのこと。 有難いことです。 私が思い出すのは、戦災以前の鹿児島の風景です。 私が子供の頃ピアノを習ったのは、武田恵喜秀先生ですが、15年前鹿児島に帰った時、先生にお会い出来ました。 鹿児島のオーケストラの公演会で、先生はその音楽監督でした。 その後で原良のお宅にお邪魔したのですが、鉄筋のお宅にグランドピアノが2台あって、若いお嫁さんとモーツアルトのピアノ協奏曲を聴かせてくださいました。 昔我々が学童の頃は、附属小学校の先生として、雨天体操場でラジオ体操の伴奏を弾いておられたのですが、戦後は大学教授になっておられました。 やはり50年程前、銀座のサンバードでカレーライスを食べていたら、店内のテレビに、先生が出てこられました。 フランキー堺が鹿児島の恩師とテレビを介しての対談です。 武田先生は、「フランキー? そんな外人は知らん」と言われたようですが、顔をみたら「なーんだ、堺君じゃないか」と破顔一笑。 鹿児島の放送局から先生の弾く太平洋行進曲が流れてきました。 堺さんも男子附属だったのですね。

やはり1991年鹿児島に帰った時です。 天文館と天神馬場の四つ角で、蝶ネクタイの青年4人が弦楽四重奏を弾いていいるのを見た時、尚武の国鹿児島も変わったものだと心底思いました。 その際、北元、上村、満尾、吉牟田の諸兄と会ったのが最後の帰省となりました。

Thursday, June 15, 2006

先日はご丁寧なお悔やみの言葉を戴き有難うございました (06/06/14)[n]
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鬱陶しい毎日が続いています 降ったり止んだりで青空が見える事はありません

先日はお心の篭ったメールを戴き有難うございました
初七日も終わりましたが四十九日の法要を終えて納骨するまで仏様を我家に置いています
時々写真に向かって泣き言を言っています 父もそうでしたが私も九州男児の血を引いていますので
家内に対しては上手に愛の表現をする事が出来ませんでした これが尤も後悔する所以です
今の若い人達は開けっ広げに言っていますが戦争中に教育を受けた私には分っていてもそれが出来ません
でした 後悔する事が山ほどあります その都度詫びているのですが それなら初めからそうして置けば
良かったでしょうに 残念です

でも何時までも悲嘆に暮れる訳には行きません 私が健康を保ち長く生き続けて家内の供養をする事が
大事だと自分に言い聞かせています 大丈夫ですからご休心下さい

今日は上村逸志さんが上京していると後藤日郎さんから連絡が入りましたので午後出掛けて小田急沿線の
日郎さんの飲み所へ行きます 会える時には是非会って置きたいと思うのです 楽しみですが又その後報告をいたします

庭の花は今サツキが満開です 日陰にある紫陽花も今年は咲いてくれました それに義母が植えてくれた
薔薇も35年経った今綺麗な花を咲かせてくれています 四季折々季節の花を楽しめるのは有難いものです

どうかお身体を大事にお過ごし下さい
鹿児島県の広報物を別便にてお送りします
お元気で

Friday, June 02, 2006

痛恨のさ中に悲報わざわざお知らせいただきありがとうございました(06-06-02)[s]
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奥様の突然の訃報に驚きました。 そういう深い悲しみの最中とも知らず、無関係なメールを差し上げて、本当に失礼しました。 お許しください。 奥様と同年の家内も、貴兄のメールを拝見し、泣いておりました。 ひとごととは思えず、ショックだったのでしょう。 今は、なんとも、お慰めする言葉を知りません。 私達も、様々な人生の節目を通るわけですが、最近家内の叔父が浜松で長年の連れ合いをなくし、85才での病死だったとはいえ、「妻に先立たれるのは本当に淋しいことだよ」と電話で話していたと教えられ、心が痛みました。 「別れ」の辛さは、永遠にフレッシュな悲しみとして生き続けるものだと思います。

今はただ奥様の冥福をお祈り申し上げるのみですが、友人の一人としてこの際貴兄に添ってお慰めできないのが残念です。 お葬式などで心の休む暇もないでしょうが、どうかくれぐれもお大事にこの重大な時期を乗り越えてください。
暫くご無沙汰いたしました(06-06-02)[n]
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メールを頂きながらご無沙汰して相済みません

実は家内の具合が急変し5月30日朝亡くなったのです 70歳でした 診断書には癌性腹膜炎と書かれていました 4月中旬に鎌倉の腰越という江ノ島の対岸にある病院に移しました 前の病院でCTスキャンを撮った結果 癌の転移が見られステージ4と言われたので出来るだけ近くの病院へ入れたいと考えて転院させました
この時点では意識もハッキリせず 段々と体が衰えて行きました 主治医からは5月一杯保つかと言われたのですがその通りとなりました 前日から泊り込んでいましたが幸い息子も間に合い静かに息を引き取りました

20年の長い闘病生活でした 息子の交通事故が引き金となり入院してから家に戻ったのは僅かに3年半で
殆ど大半を病室のベッドで過ごしました 私の仕事が一番忙しい時で家内に構ってやれませんでしたが 今思えばあの時に決断して仕事を辞めて家内の回復に全力を注いだら違った展開になったのかも知れません
話題になりましたが大阪の高槻市の市長さんは奥様が認知症に掛かった時にそれを公表して辞任し介護に
当たったそうですが 私にはその勇気がありませんでした その外医者並びに病院の選択等私の判断に問題があったと後悔しています

一昨年夏、不整出血があり子宮体癌と診断されたのですが 鬱病を持っている患者を手術してくれる病院は中々ありませんでした 北里大学病院で受けてくれたのですが手術台が開くのを3ヶ月も待たされ愈々明日となった前日になって患者の様子から手術出来ないと言われたのです 腹が立ったものの急いで東京赤坂の前田外科に移し手術をしたのですが 思うに3ヶ月も待たされた間に進行したに違いありません これが転移の原因と考えられるのですが 因果関係を認めさせるのは困難です 家内には申し訳ない事をしたと後悔しきりです 

主たる病気でした鬱病にしてもどの医者も家内に合った薬を見出せなかった事が長引いた原因でしょう
20年も付き合ったのですから 私も一通りの知識を得ていました 合わないのは判るのです 徒に量を増やして行く 薬には必ず害が付きものです 一日に25錠も飲まされているのは拷問を受けているのとかわりません
医者の資質を疑います 日本の医療分野は遅れています 全ての分野でです

過ぎた事は仕方がありません 幾ら言っても家内は帰って来ません 残念無念というのが今の心境です

長々と恨み節を申し上げ済みません 独り暮らしとなりましたが自分なりに身体には気を付け気持ちを切り替えて人生を送って行こうと思っています 幸い貴兄にも申し上げたように友達が周囲に多いのは有難い事です
お互いに年を取りましたが支えられて楽しんで終わりたいと願っています

又メールを再開します どうかお元気でお過ごし下さい
初夏の候、いかがお過ごしですか(06-05-31)[s]
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今年も6月になりましたね。 1年の折り返し地点も近くなりました。

こちらは、相変わらず平々凡々、同窓会も懇親会もない、イベントレスの日々がつづいています。 

間もなく75になるわけですが、80以上の先輩諸氏は、「75を超えたら、格段に調子が落ちてくるよ」と言われます。 私も、ここにきて好奇心がいたってうすれてきたのは、老化の加速が本格的になってきたあらわれだと思います。

貴兄は小学、中学、高校以来の友達をまわりに配し、刺激に満ちた生き方で、いいですね。 

お互いに無理をせず、自然体で、「無事」を願って、新老人の境地を進むことにいたしましょう。