Saturday, May 13, 2006

こちらでも薫風を感じます (06-05-13)[s]
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「来てうれし帰ってうれし孫の顔」という川柳。 祖父ちゃん祖母ちゃんの心をよく映していると思います。 私共も孫が5人いますが、6才から2才。 3人はカリフォルニアに住み、2人はモントリオールというわけで、バンクーバーには居りません。 しかし暫く次男夫婦がバンクーバーに居たので、その頃はベビーシットをする機会がありました。 孫となると、自分達の子供より責任がありますので、ワイフも気をつかい、上記の川柳の気持がよくわかりました。

たしかにこちらにいると、友達に会うことはありませんが、Eメールのおかげで、思わぬ旧友との出会いに恵まれることもあり、貴兄との場合もそうですが、現役の頃にはほとんど接触がなかった人でも、リタイアしてメールを通じはじめて旧交をあたためることができるのも、楽しいことです。

私も、今年の秋は満の75になりますが、先日も教会で80をこしたご婦人と話していて、「75を超えると急に弱くなる」と聞かされました。 その小柄なドイツ女性も、移民として苦労の生涯を送り、ついに結婚する機会がなかったようですが、今でも若々しく、可愛らしい顔立ちなのに、どうして結婚できなかったのだろうと、不思議に思います。

私も、75になるにはまだあと暫くあるのですが、今から「四捨五入すれば80」と子供達にはホラを吹いています。 その嘘が予言になったのか、ここへ来て急に血圧が高くなり、この一週間ばかり150/80台が続いています。 私はもともと若い頃から血圧が高く、カナダへ移住を申請した際も、面接ではパスしたのですが、健康診断で血圧が高いことがわかり、医者からカナダ大使館移住部に通告され、許可が引っ込められてしまいました。 まあ結局はOKになったのですが、自覚症状はまったく無く、そのまま40年以上過ぎて今日にいたってしまいます。

カナダへ来てよかったのか悪かったのかわかりませんが、今でもミックスした思いです。 しかし日本に残っていても、私の能力と背景では、5人の子供を大学にやることは出来なかったでしょう。 カナダの大学はほとんどが州立で、月謝はアメリカの一流大学の十分の一ぐらい。 今では少しその差も縮まったかと思いますが、それにしても教育の質も十分の一程度とは思えません。 日本の大学も、私立はもちろん、国公立でも大分学資がかかるときき、特に東大などは、豊かな家庭の子弟で占められ特権階級の学校に変わってしまったと聞きますが、そうですか。

ところで、吉牟田兄のご両親と弟さんが爆撃で亡くなられたとは知りませんでした。 吉牟田兄は、野中亮兄とともに、中4から七高に進学しましたが、私は中2で休学し、ますます遠くなったので、ほとんど接触はありませんでした。 彼のお兄さんが甲南で暫く先生をしていたことがありますが、「物理が難しくても読書百遍意自ずから通ずだ」と学生を励まされた。 しかしその一遍すらも怠った私は最初から落ちこぼれ生徒でした。 吉牟田兄の勲四等瑞宝章叙勲を喜ばれるご両親はこの世には居られなかったわけですね。

お宅の庭に石楠花の花が咲いているとのこと。 英語ではロードダンダランと言いますが、英国でもカナダでも一番人気の高い花です。 もともとは屋久島の産と聞きましたが、それがロンドンの公園でも絢爛たる花を咲かせていました。 園芸は最良の趣味だと思いますが、ゴトー・ローズガーデンのバラはどんな具合でしょうか。

Monday, May 08, 2006

大型連休も終わりました (06-05-08)[n]
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大型連休の期間も終わり 平常に戻りました 今年の人出は昨年に比べ多かったようです
と言うのは休日の配列が上手く行き最高9連休の休みが取れた事に依るものでしょう
海外にも約60万人が出掛けたようですし 航空会社、JR等の乗り物も昨年比5%の増加でした
加えて景気の回復がありました

今年の海外旅行先は東南アジアが主力だったようです 昔はアメリカ特にハワイや欧州がお目当てでしたが
アジアへの流れが此処でも見られます
残念ながら私は何処にも出掛けませんでした 毎日が日曜日で特に混雑する期間に出掛ける必要はありません 但し息子夫婦が孫2人を連れて泊り掛けで参りました 正月とこの期間は毎度来る事になっています
私の方は平穏な生活を侵されて孫との遊びに追われ疲れますが 年に2回位でしたら仕方が無い事でしょう
小学2年生の女児と幼稚園2年の男児です

先日の日本スケート連盟の久永元会長の件ですが 貴兄の言われる男師附属時代に1年間同級生だったという事は全く記憶にありません 唯新聞記事に出た久永という姓は鹿児島のものだなぁと思いました
金海堂さんは確か東千石町にあったのではなかったでしょうか 昔の記憶も遠くになりそれにボケて来ましたので危うくなりました

男師附属から一中に入った時に中学とは随分違った学校だなぁと思いました 附属なる温室育ちでしたから
他の小学から来た連中の苛めの標的にされました 何故か喧嘩大将の満尾定彦さんは庇ってくれませんでした 同じクラスだったのでした 今苛めが問題となっていますが当時から苛めはありました 陰湿な苛めではなくカラッとしたものでしたが 加えて2年になったら勉強どころでは無くなりました 戦争末期の悲惨な中学生活でした 下宿していた私はもう終わりだなと感じ両親の居た田舎の宮崎に転校しました その後鹿児島大空襲があったのでした 下宿先が吉牟田 直さんの直ぐ近くでした 彼の家は直撃を受けてご両親と弟さんが亡くなったのでしたから あのままで鹿児島に居たらどんな破目になったのやらと思います

その一中時代の同級生が京都府の前知事荒巻 禎三さんであり 日本陸上競技連盟の元副会長をされた帖佐 寛章さんです 荒巻さんが知事時代には毎年暮に京都で3人だけのクラス会をいたしました
両氏ともにリタイアされましたが帖佐さんとは時々会っては旧交を温かめています 来週両国国技館に大相撲を見物に行く約束をしています 

貴兄の場合は昔の友人に会うという機会はないでしょうが 幸い内地に居る私共は会ったその時から子供時代に戻り 時には奇妙な鹿児島弁を口にしては昔話に耽ります 幸せです

庭はツツジの他に西洋石楠花が盛りです 桜前線は今北海道まで上りました 沖縄はソロソロ入梅の様子です お元気でお過ごし下さい