Friday, June 16, 2006

真夏の思い出 (06/06/16)[s]
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季節感にあふれる御便りを拝見しながら、貴兄の胸に抱かれる寂しさが察せられるような気がして、心を打たれます。

もう夏至ですね。 これから段々日が短くなるわけですが、何もしないうちに、時が飛び去っていき、2006年が過ぎるのもアッという間でしょう。

私も海岸に近いので、よくサンセットを見に行きます。 日没は現在午後9時頃です。 暦の上ではミッドサマーでまだ本当の夏とは言えませんが、海岸や町の雑踏の中で、年寄りが半ズボンで歩いているのをよく見かけます。 それでも若い女性はジーンの長いパンツをはいて脚線美を隠している人が多く、目の悪い私でも、お尻の下に長く伸びた脚や色とりどりの茶髪金髪はぐらいは見えます。 半世紀前、まだ駆け出しのサラリーマンだった頃、夕暮れの銀座の三愛の辺りで、若い女性のスリーブレスの腕が眩しかったことを思い出します。

今のアパートに移って半年。 車はほとんど使わなくなりました。 どこへでも歩いて行って用が足せます。 一昨日は税務署まで歩いて行ったのですが、そんな野暮な所も歩いて行ける距離にあります。 「申告の計算が不備だから40万円払え」という野暮用です。 しかし相談員に会ってみると、不備なのは税務署の方で、追徴金は帳消し。 しかも私が準盲目だというので、これからは優遇措置を認めようということになりました。 不吉な税務署詣でと思ったのですが、程よい散策に終わりました。

鹿児島の刊行物をお送り下さるとのこと。 有難いことです。 私が思い出すのは、戦災以前の鹿児島の風景です。 私が子供の頃ピアノを習ったのは、武田恵喜秀先生ですが、15年前鹿児島に帰った時、先生にお会い出来ました。 鹿児島のオーケストラの公演会で、先生はその音楽監督でした。 その後で原良のお宅にお邪魔したのですが、鉄筋のお宅にグランドピアノが2台あって、若いお嫁さんとモーツアルトのピアノ協奏曲を聴かせてくださいました。 昔我々が学童の頃は、附属小学校の先生として、雨天体操場でラジオ体操の伴奏を弾いておられたのですが、戦後は大学教授になっておられました。 やはり50年程前、銀座のサンバードでカレーライスを食べていたら、店内のテレビに、先生が出てこられました。 フランキー堺が鹿児島の恩師とテレビを介しての対談です。 武田先生は、「フランキー? そんな外人は知らん」と言われたようですが、顔をみたら「なーんだ、堺君じゃないか」と破顔一笑。 鹿児島の放送局から先生の弾く太平洋行進曲が流れてきました。 堺さんも男子附属だったのですね。

やはり1991年鹿児島に帰った時です。 天文館と天神馬場の四つ角で、蝶ネクタイの青年4人が弦楽四重奏を弾いていいるのを見た時、尚武の国鹿児島も変わったものだと心底思いました。 その際、北元、上村、満尾、吉牟田の諸兄と会ったのが最後の帰省となりました。

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