「三月は風の季節」(06-03-08)[s]
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「マーチ ウィンド、エープリル シャワー」というのはイギリスだけのことかと思っていたのですが、バンクーバーも多少イングランドに風土が似ているせいか、このところ風が吹いて、樹木の枝や葉が揺れています。
藤沢の駅で、逸志兄に会われたそうですね。 人生にはそういう出会いが時々あるものですね。 彼も悠々自適の境遇でしょう。 私のような幽々自擲とは違います。
藤沢駅といえば、昔一頃、藤沢駅長が東京駅の駅長に転任するパターンが続いたことがありました。 大阪駅や上野駅よりも、すごろくの上がりに達するには、藤沢駅ぐらいの距離がいいのかもしれないと思ったことがありました。 いずれにしても、鉄道人生のエリートコースなんでしょう。
ところで日郎兄と話していても、警視庁に勤める息子さんのことや、妹さんの亮子さんの消息を聞くことはあっても、奥さんの話題が出てきません。 彼のバリアフリー、自家発電の邸宅や、ローズガーデンのことは羨ましく聞くことがあっても、「では奥さんによろしく」というきっかけがありません。 ご健在なんでしょうか。
彼の御父君は七高の心理学の先生だったとうかがい、私も文学部に在籍しながら、心理学に関心がなかったことを、いささか悔やんでおります。 リー・アイアコッカの自伝によると、彼は工学部の出身でありながら、「大学で学んだコースで一番有用だったのは心理学だった」そうですから、私は絶好のチャンスを逃したことになります。
私は、慶應の大学院から鹿児島の短大の先生となった心理学者と親しかったのですが、彼によると「鹿児島の短大の学生の方が慶應より質がいいよ」と言うのです。 彼の家は学者一家。 それが真実そう思っているような口振りでした。 一高女にあった女専の後身で、戦後短大になったのですが、その頃鹿児島で高等教育を目指す女性は真面目で優秀だったのでしょうね。
彼が「大学院なんて実にやさしいんだから君も来たらいい」と言い、その奥さんも「東京女子大では成績も普通だったのに、慶應に入ったらべたべたAがついちゃって」卒業の時は時計組。 その奥さんも「大学院て遊んでいるようなもの」とけし掛けてくれたのですが、無試験に釣られて同和火災に寄り道した心算が運の尽き。 37才でラジオに辿り付くまで無為に過ごしました。
我々の頃の大学院というと、他の学部でも、学卒で第一志望の所に入れなかった人の緊急避難所。 それに学制改革から日が浅く、アメリカ流の制度が、仏作って魂入れずの状態だったのではないかと思います。
カナダ移住の申請には、一流であろうと三流であろうと、とにかく大学院と名のつく所で年数を稼いでおけば、単なる学卒よりも点数が増えて有利です。
しかし、イギリスでは、有名なパブリックスクールに行けば、オックスフォードやケンブリッジに行く必要はないそうです。 オールドボーイのネットワークで、ザシティの特権階級になれるそうですから。 まして大学院なんていうのは、中流から下層階級の秀才が敗者復活をめざすところのようです。
アメリカでも、ハーバードのカレッジなら、それ以上勉強する必要は無い。 ハーバードの大学院は、州立大学の卒業生が研鑽する場と、都留重人の「アメリカ遊学記」に書いてあったように思います。 都留先生が勉強したのは70年も昔のことと思われますが、今でもさほど変わっていないのかもしれません。
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「マーチ ウィンド、エープリル シャワー」というのはイギリスだけのことかと思っていたのですが、バンクーバーも多少イングランドに風土が似ているせいか、このところ風が吹いて、樹木の枝や葉が揺れています。
藤沢の駅で、逸志兄に会われたそうですね。 人生にはそういう出会いが時々あるものですね。 彼も悠々自適の境遇でしょう。 私のような幽々自擲とは違います。
藤沢駅といえば、昔一頃、藤沢駅長が東京駅の駅長に転任するパターンが続いたことがありました。 大阪駅や上野駅よりも、すごろくの上がりに達するには、藤沢駅ぐらいの距離がいいのかもしれないと思ったことがありました。 いずれにしても、鉄道人生のエリートコースなんでしょう。
ところで日郎兄と話していても、警視庁に勤める息子さんのことや、妹さんの亮子さんの消息を聞くことはあっても、奥さんの話題が出てきません。 彼のバリアフリー、自家発電の邸宅や、ローズガーデンのことは羨ましく聞くことがあっても、「では奥さんによろしく」というきっかけがありません。 ご健在なんでしょうか。
彼の御父君は七高の心理学の先生だったとうかがい、私も文学部に在籍しながら、心理学に関心がなかったことを、いささか悔やんでおります。 リー・アイアコッカの自伝によると、彼は工学部の出身でありながら、「大学で学んだコースで一番有用だったのは心理学だった」そうですから、私は絶好のチャンスを逃したことになります。
私は、慶應の大学院から鹿児島の短大の先生となった心理学者と親しかったのですが、彼によると「鹿児島の短大の学生の方が慶應より質がいいよ」と言うのです。 彼の家は学者一家。 それが真実そう思っているような口振りでした。 一高女にあった女専の後身で、戦後短大になったのですが、その頃鹿児島で高等教育を目指す女性は真面目で優秀だったのでしょうね。
彼が「大学院なんて実にやさしいんだから君も来たらいい」と言い、その奥さんも「東京女子大では成績も普通だったのに、慶應に入ったらべたべたAがついちゃって」卒業の時は時計組。 その奥さんも「大学院て遊んでいるようなもの」とけし掛けてくれたのですが、無試験に釣られて同和火災に寄り道した心算が運の尽き。 37才でラジオに辿り付くまで無為に過ごしました。
我々の頃の大学院というと、他の学部でも、学卒で第一志望の所に入れなかった人の緊急避難所。 それに学制改革から日が浅く、アメリカ流の制度が、仏作って魂入れずの状態だったのではないかと思います。
カナダ移住の申請には、一流であろうと三流であろうと、とにかく大学院と名のつく所で年数を稼いでおけば、単なる学卒よりも点数が増えて有利です。
しかし、イギリスでは、有名なパブリックスクールに行けば、オックスフォードやケンブリッジに行く必要はないそうです。 オールドボーイのネットワークで、ザシティの特権階級になれるそうですから。 まして大学院なんていうのは、中流から下層階級の秀才が敗者復活をめざすところのようです。
アメリカでも、ハーバードのカレッジなら、それ以上勉強する必要は無い。 ハーバードの大学院は、州立大学の卒業生が研鑽する場と、都留重人の「アメリカ遊学記」に書いてあったように思います。 都留先生が勉強したのは70年も昔のことと思われますが、今でもさほど変わっていないのかもしれません。

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