Wednesday, February 08, 2006

「今日は珍しく好い天気でした」(06-02-08)[s]
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雨の都バンクーバーも、今日は珍しく青空がみえ、快晴となりました。 今年に入って初めての日本晴れ。 海岸には、犬を連れた人の群れがパレードのように続きます。

.こんな日にはゴルフがいいのでしょうが、貴兄は健康のためにゴルフをやっておられるとか。 「健康のために」という枕詞がつくところが、昭和一桁の特徴だそうですね。 私は、そのゴルフに、とうとう縁がありませんでした。

健康法といっても特になく、ビデオを見ながらラジオ体操をするのが、唯一の健康法です。 しかし身体がかたいので、腰もなかなか曲がらず、前にかがんでも、手の先は、せいぜい膝か脛止まり。 附属の宮本主事先生が、生徒と一緒に体操をされるのに、大柄な身体を不器用に曲げておられたのを思い出します。

鹿児島でゴルフの「ゴ」の字がチラホラするようになったのは、昭和20年代も大分後になってから。 伊敷の錬兵場で、クラブを振る人達の姿が見られるようになりました。 それから間もなく、吉野の丘の上にゴルフ場が出来、霧島から指宿まで、あっという間に増えました。

弟は、慶應でグリーンクラブに入っていましたが、スウィングの形だけはよくても、あまり上達しなかったようです。 戦前鴨池のコートで硬式テニスを楽しんでいた父も、ゴルフが渡来すると、ラケットをクラブに切り替え、病床で寝たきりになってからでも、吉野のコースの難所について話していました。

妻の父は、戦前からのゴルフ派で、年を取ってからも長いことシングルでした。 そして病い昂じて、自分でゴルフ場を設計し、浜松や日光にコースをこしらえました。 しかしコースの評判はよくても、借金経営では長持ちせず、自分の弟や台湾の投資家にテークオーバーされてしまい、寂しい最期でした。

私がまだ日本にいた頃、英国大使館の友人から、「BBCの日本語部長がゴルフのクラブを残していったのだが、誰か引き取ってくれる人を知らないか」と電話がかかってきました。 義父に話すと、「クラブは幾らあってもいいからね」と言い、受け取ったのですが、それが縁で、私のBBC行きにつながったのでした。 

そのレゲットさんも、ゴルフのハンディは限りなくゼロに近く、ピアノはコンサートピアニストの道を選ぼうかと迷った程。 柔道は欧州で最高の段位。 チェスはBBCのチャンピオン。 日本政府から勲三等が贈られました。

それでも彼の友人の中には、レゲットさんがBBCだということを知らない人も居たのには面白く思いました。 日本だったら、人柄よりも、能力よりも、勤め先のネームバリューの方がものを言うのにと思うのですが、間違っているでしょうか。 レゲットさんとは5年間の付き合いでしたが、その間、ピアノの話、柔道の話、ゴルフの話、いずれも一切話題に出なかったのは、いかにもイギリス的だと感じました。。

私は昭和31年の卒業ですが、今日、慶應から、卒後50周年の集まりの案内が届き、ビックリしました。 貴兄には去年招待が来たのではないでしょうか。 よく浮き草稼業の私の現住所を突き止めたものだと驚き、不思議に思っています。

今思い返すと、人柄のいい学生が多かったように思います。 このバンクーバーに、幼稚舎から大学まで一貫した慶應ボーイがいますが、私には彼のように「三田」とか「塾」とかいう言葉がスムースに出てきません。 いい学校だったけれども、こちらがいい学生ではなかったということですね。

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