Wednesday, January 25, 2006

「私も父の事についてお話しします」(06-01-25)[s]
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貴兄の家の屋号「アキ洋裁店」が広島の安芸から来ているのは初めて知りました そうだったのですか

私の父は宮崎県の延岡市の出身です 延岡中学から旧制五高へ進み京都帝国大学への道を辿りました
東京帝国大学にも受かったのだそうですが 両親が遠い東京へ行く事を反対し京都へ進んだと父から聞きました 

理学部数学科出身ですから頭が良かったのでしょう ゼミは函数論です 家には父の数学の本が一杯並んでいましたが 不肖の私は凡庸で 親父の後は継げませんでした 函数論を選んだので保険に興味を持ち 卒業時には生保に就職が決まっていたのですが 前便でお知らせした様な訳で 心ならずも教師の道にはいりました

でも旧制高校には馴染めず 結婚して 義父の勧めで 郷里に近い鹿児島一中に教頭で赴任したのが 37歳の時だったそうです 

鹿児島の気風が父には合っていたのでしょうか 鬼教頭として勇名を馳せました 今でも当時鍛えられた教え子の方に会うと武勇伝を聞かされます これもお知らせしましたが 師範学校の周囲を私に走らせたのは 虚弱児だった私を何とか丈夫にしたいとの願望だったのでしょう お陰で今もって元気で居られるのは感謝しなくてはなりません

貴兄はご存知ではないかも知れませんが 父は貴兄の出身校の甲南高校の校長もいたしました 昭和30年代の半ば頃の話です 延岡中学、宮崎中学、宮崎大宮高校の校長から宮崎県の教育長を勤めましたが 贔屓にしてくれた県知事の辞任に伴い辞職し 引退したのでしたが 鹿児島の岩元さん(卒業生で後援会長をされていました)から口説かれ 5,6年甲南高校に勤めました

不肖の子でした私にとっては好きな父ではありませんでしたが 今となっては後悔する事が屡です 親孝行は全くしませんでした 自分の息子を見ていると 当時の自分を思い出し 苦笑します

同和にお勤めだったそうですが 大学の後輩で 川岸さんをご存知ではないでしょうか  確か3年位後の方です 彼は本体の専務をされ 子会社に移られてから社長をされていました 彼とは私が大阪駐在の時にお付き合いしました 若しご存知でしたら奇縁ですね

先週雪が降り 藤沢でも10cm積りました 未だ庭には雪の残骸があります 寒さもぶり返して 猛烈に寒い それに流感が流行っています 長期予報では 2月も寒さが続くと言って言っています

カナダの選挙の事が此方の新聞でも報道されました 貴兄のお見通しのように保守党が勝ったのですが 過半数を取っていないとの事ですね 連立内閣になるのでしょうか それにしても党首の若さには参ります
時代の波でしょうか 

それでは又 お元気で

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