Tuesday, January 17, 2006

「私も宗教心は生ぬるい方です」(06-01-17)[s]
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妙円寺寺詣りの歌は覚えていませんでした。 懐かしいですね。 平坦な道と違って山道ですからね。 子供心に遠く感じました。 往復40キロ。 暗い夜道で見かけた魚の骨の光る燐。 人魂というのもこの類いかと思いました。 生駒兄がトリメだったとは知りませんでした。 今では私がトリメです。

かごしまNOW をみていると、鹿児島からソウルや上海の方が東京よりも時間的には近いということに気づきました。 日航のバンクーバー支店長が鹿児島に転勤になり、左遷かと思ったら、「いや、鹿児島は日航本の支店の中でも重要なんですよ」と力説していたのを思い出しました。

貴兄も家の中の整理にはげんでおられますか。 たしかに、我々も七十路の半ば。 何時この世とお去らばする時がやってくるかわかりませんからね。 

私の父は52で亡くなりました。 タバコが好きだったので、肺癌が命取りとなりました。 母も60を過ぎたところで、やはり癌で亡くなりました。 その遺伝子を引き継いだ私は、いつ発病してもおかしくないのですが、七十代も半ばになると、喜びも失望も多くを得て、いささか疲れを感じるようになりました。 

私はたしかに日曜日には教会に行っていますが、特に宗教的という方ではありません。 バンクーバーは、北米でも最も世俗的な町で、日曜日に教会に行くのは市民の3%に過ぎません。 日本のキリスト教人口の1%とそんなに変わりません。 そして教会に来る人達の果たして何パーセントが本当のクリスチャンかというと、これもクェスチョンマークです。 求道者もいるし、罪や病いの重荷を背負い助けを求める人もいることでしょう。 信仰の程度も様々です。 私は教会に行っても、礼拝には出ず、台所に引きこもっているのですが、説教の間に舟を漕ぐと、「牧師の父親があれじゃあ」と指を指されることになりかねないと、遠慮しています。 妻も礼拝には出席しませんが、その間別室で祈っています。

毎朝仏壇に手を合わされる貴兄の方が、まだ形の上でも余程宗教的と言えるでしょう。

「義人の祈りは効果が大きい」と聖書にありますが、妻は信仰が篤く、手のつけられない不良だった息子も母親の祈りに動かされて献身しました。 しかし父親は「聖書をかかえて教会に通う未信者」という状態をぬけられず、未だに死んだらどうなるのか、確信が持てないでいるところです。 

ただ祈りと十一献金(収入の一割を献金すること)については、幾つか具体的な証しを経験しているので、私も異論を唱えることはできません。

後藤兄の住む大和市に、日本最大のプロテスタント教会があるそうです。 日本の教会は平均20人ぐらいでしょうが、そのカルバリーチャペルという教会には、千人が集まると聞いて驚きました。

これからもう少し寒さが厳しくなるのでしょうか。 どうかお大事に。

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