Friday, January 27, 2006

「今日は抹香くさいトピックです」(06-01-27)[s]
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貴兄が、人と話していて、それが仕事の話とか普通の会話の中でも、クリスチャンを識別できるとは、炯眼ですね。 しかし強情というのは、クリスチャンの証しとしては、あまり褒むべきことではありませんね。 かといって、あまり融通無碍でもよくないでしょうし。

私も強情なところがありますし、よく頑固だと言われます。 この頃になって、我を貫いて頑固で通すことは、長い目でみれば、損になることが、少し判ってきました。

前にも申し上げたように、私は、「BIBLE CARRYING, CHUCH GOING NON-BELIEVER」という、似非クリスチャンのグループに属するでしょう。 私は、49才の時、水槽で、ザブンと頭から水に浸かって洗礼を受けたことがあるのですが、まだ本物のクリスチャンであるという確信はないのです。

宗教の最終的なゴールは、天国に行くことです。 本物のクリスチャンは、皆天国に行けることを確信しており、この世の苦しみや悲しみは、天国での永遠の喜びや栄光に較べれば、取るに足りない一瞬の泡沫に過ぎないと考え、一日一日が過ぎるほどに天国へ行ける日が近付くと、楽しみにしています。

ですから、クリスチャンにとっては、死ぬことは凱旋であり、ハレルヤと主の栄光を讃えます。

私は如何に? 私もそう信じたいのですが、どうも使徒達の希望的幻想ではないのか? しかし、星空をみても、創造主が調和と秩序を愛し、宇宙をこしらえたことには疑念の余地がありません。 では何故この地上で、苦しみと悲しみが多くの人に降りかかるのを、全能の神は許しておかれるのか?  その苦痛をプラスマイナスするゼロサム理論の答がありそうなものだが、それが死後の世界に待っているのか?

キリスト教では、善行を幾ら積んでも、それは天国に行ける条件として、神は一顧だにされない。 必要なことは、我々の罪のために十字架にかかって死んで下さったイエスを信じて、罪を悔い改めることだ。 それだけで天国は保証されるのだと教えます。 私としては、それでも、微かな疑念が拭いきれないのですが、統計がそのまま当てはまれば、私の寿命も後4年。 ボツボツ死後の霊の行方について考えなければなりません。

時々、一度死んで蘇生した人達の話を聞くことがありますが、共通しているのは、死んだ後、トンネルを通って、川みたいな所に出る。 仏教でいう三途の川ですかね。 その向こうに、亡き両親や友達が居て待って居るというのですが、生き返った人達は、大体そこで自分の名前が呼ばれているのに気づき、振り返ると、病床のまわりの人達が名前を呼んでいた。 そして意識が戻ってきたということです。 うちの親戚の女性も、子供の時の体験として、同様なことを話していました。

その場合、宗教上の信仰の有無は関係ないと言います。 そして、再び死ぬことについては、まったく恐れや不安を感じなくなるということです。

ただ、自殺の場合は、例外なく地獄に行くそうで、生き返った人は、それ以後熱心な信仰に生きるようになるそうです。 アラブの自爆者の死後はどうなんだろうと考えてしまいます。

私も、「カナダこのごろ」のような手すさびは程々にして、もっと大事なことは何かということを少し考えた方がいいのかもしれません。

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