「昭和も遠くになってしまいました」(06-01-30)[s]
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ご尊父野村先生が甲南の校長をしておられたとは知りませんでした。 驚きです。 私が二中に入った頃の校長は池田俊彦という人でしたが、学習院の教授から二中に赴任し、暫くして一中の校長へという話が出て、生徒達が騒いだそうです。 それで二中に留まったという話を聞きましたが、軍神横山少佐を描いて映画にもなった岩田豊雄の「海軍」で脚光をあびることになりました。 武智兄のお父さんは確か盛岡から来られたと思いましたが、昔の校長人事は、全国的な規模で行われたのですね。
同和火災の川岸さんという方は存じ上げておりません。 私は入社後、銀座の東京支店火災調査課に配属されました。 普通新入りは金を扱う営業には数年経ないと出さないのですが、私は机で居眠りばかりしていたので、二年目には外に放り出されてしまいました。
学生時代から、渋谷の道玄坂に、同和火災の営業所があるのは、気づいていたのですが、その構えの汚くてお粗末なこと。 保険会社にもあんな貧相な店があるのかと思っていたら、なんとその店にまわされたので驚きました。 そこに暫く居たのですが、これも無責任社員にとって自由で気楽な所でした。
当時損保は20社ありましたが、扱う商品は、政府規制の、形のない、抽象的な品目ばかり。 しかも,20社あっても、三菱をバックにした東京海上の独走市場。 そのおこぼれを残りの会社が拾う体制でした。 そのうち弟の高校時代の同級生で、社長の長男が重役として入ってきました。 そうこうするうちに、私の父が癌になり、私も鹿児島出張所に転勤になりました。 もし定年まで残っていたら、鹿児島出張所の次長か所長代理ぐらいにはなれたかもしれません。 川岸さんは、個人商店みたいな会社で、専務にまでなられたのですから、優秀で、毛並みもよかったのでしょうね。 私が居た頃は、岡崎社長の下に、専務は居らず、常務どまりでした。
父が死去する一ヶ月前鹿児島の教会で結婚しましたが、妻の父が金沢で小さな製紙工場をやっていたので、今度は手で触って見ることの出来る商品を扱えると、もぐりこみました。 それが縁で、英国の機械メーカーの代理店となり、またさらにそこからBBCに雇われたのでした。
それ以降は根無し草です。 昭和一桁族はみなリタイアしたわけですが、その中でも、一社一筋に勤め上げた人達が、今の年金社会では、最も恵まれているそうですね。 とすると後藤兄や上村兄などがその典型。 一番余裕のある日本人なのかもしれませんね。 貴兄も二つの日本一の会社にあって諸葛孔明の働きをされたわけですから、ユニークな存在です。
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ご尊父野村先生が甲南の校長をしておられたとは知りませんでした。 驚きです。 私が二中に入った頃の校長は池田俊彦という人でしたが、学習院の教授から二中に赴任し、暫くして一中の校長へという話が出て、生徒達が騒いだそうです。 それで二中に留まったという話を聞きましたが、軍神横山少佐を描いて映画にもなった岩田豊雄の「海軍」で脚光をあびることになりました。 武智兄のお父さんは確か盛岡から来られたと思いましたが、昔の校長人事は、全国的な規模で行われたのですね。
同和火災の川岸さんという方は存じ上げておりません。 私は入社後、銀座の東京支店火災調査課に配属されました。 普通新入りは金を扱う営業には数年経ないと出さないのですが、私は机で居眠りばかりしていたので、二年目には外に放り出されてしまいました。
学生時代から、渋谷の道玄坂に、同和火災の営業所があるのは、気づいていたのですが、その構えの汚くてお粗末なこと。 保険会社にもあんな貧相な店があるのかと思っていたら、なんとその店にまわされたので驚きました。 そこに暫く居たのですが、これも無責任社員にとって自由で気楽な所でした。
当時損保は20社ありましたが、扱う商品は、政府規制の、形のない、抽象的な品目ばかり。 しかも,20社あっても、三菱をバックにした東京海上の独走市場。 そのおこぼれを残りの会社が拾う体制でした。 そのうち弟の高校時代の同級生で、社長の長男が重役として入ってきました。 そうこうするうちに、私の父が癌になり、私も鹿児島出張所に転勤になりました。 もし定年まで残っていたら、鹿児島出張所の次長か所長代理ぐらいにはなれたかもしれません。 川岸さんは、個人商店みたいな会社で、専務にまでなられたのですから、優秀で、毛並みもよかったのでしょうね。 私が居た頃は、岡崎社長の下に、専務は居らず、常務どまりでした。
父が死去する一ヶ月前鹿児島の教会で結婚しましたが、妻の父が金沢で小さな製紙工場をやっていたので、今度は手で触って見ることの出来る商品を扱えると、もぐりこみました。 それが縁で、英国の機械メーカーの代理店となり、またさらにそこからBBCに雇われたのでした。
それ以降は根無し草です。 昭和一桁族はみなリタイアしたわけですが、その中でも、一社一筋に勤め上げた人達が、今の年金社会では、最も恵まれているそうですね。 とすると後藤兄や上村兄などがその典型。 一番余裕のある日本人なのかもしれませんね。 貴兄も二つの日本一の会社にあって諸葛孔明の働きをされたわけですから、ユニークな存在です。

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