Monday, November 19, 2007

海外で暮らしてみて (2007/11/19)[s]
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今日はこちらでは日本より一日遅れの11月19日。 気温は最高8度最低3度で、今日も雨を含んだ雲が垂れ込めています。 私のアパートは水際に近いので、外の温度は街中よりはちょっと低いかもしれませんが、終戦の年、鹿児島県の大口や山野で過ごした冬の方がよっぽど寒かったことを想い出します。

「外国で暮らすのは大変だろう」という貴兄の同情に、お友達の方が「失礼だ」とおこられたとうかがい、どうして礼を失することになるのかといささか案じています。 そういう反応もあり得ることを承っておきましょう。

海外生活は、確かにいろんな意味で大変でした。 私がカナダに来た時は、仕えるべき藩というか会社もなく、糸のような細い縁故もなく、ゼロからの再出発でした。 43才で、家族は妻と育ち盛りの子供5人。 半年は無収入を覚悟していたのですが、6ヶ月や6年どころか、定収入にありつくまで9年かかりました。 それでもカナダで一家7人飢えもせず、雨風を凌いで過ごせたのは、この国の社会保障制度のおかげでしょう。

私にとっての最大の苦労は語学です。 才能も天分もない私は、最近ますます英語が判らなくなって、見ざる聞かざる言わざるの障害者です。

移住後一時は印刷屋を志して、夜学に通い、ベースメントに印刷機も入れてみたのですが、牧師の世話でCBCの臨時雇いの仕事にありつき、それが後に定雇いとなって定年まで勤め、退職したような次第です。

初めて海外に出たのは昭和36年。 1年間、コロンビアに遊学しました。 生まれて初めて勉強らしい真似を試みたのですが、私の貧しい英語力では歯が立ちませんでした。 しかしハリウッド映画で親しんでいた豊かな社会の実態に触れ、大学に隣接する教会に出てみて、3000人の会衆が一斉に賛美歌を歌う光景をみた時は、「これがアメリカだったのか」と、映画では知り得なかった精神的バックボーンに接しました。 こんな国に戦争を挑んだ無知と無謀を痛感しました。 そして大学のまわりにも、マンハッタンにも大きな教会が沢山あるのに驚きました。

BBCに行ったのは昭和43年ですが、ニューヨークやロンドンもシビライズドソサエティ。 先進国への移動にはカルチャーショックはありませんでした。 5年後にカナダへ移住したのですが、私共には5人子供がいましたので、広い国なら大勢で移住しても闖入者として白い目でみられることも少なかろうと考えたからでした。 しかし文化的にはダウンウォードのムーブでした。 知日派のカナダ人が「カナダの人は田舎の人ですから、失礼なことがあります。 しかし根は悪くないのです」と言っていましたが、確かにその通りです。

もし鹿児島で親の商売を継いでいたらどうなっていただろうかと思うことがあります。 子供を東京の6大学の一つにでも送ることも難しかったのではないかと思います。 その点カナダの大学は授業料が安いし、入学金もない。 そして奨学資金がふんだんにあります。 それにカナダの大学は、格や質に差がなく、序列というものがありませんから、学閥も存在しません。 5人の子供達は誰も親に経済的負担をかけることなく無事卒業できました。 そして今では、親父の私が家族の中で一番低い学歴で、ブービー賞にもなりません。

それからカナダで有難いのは医療制度。 私も昨年2度入院しましたが、大部屋だったとはいえ、文句のない手厚い診療でした。 日本も皆保険で行き届いていますが、こちらの医者も看護婦も、皆機嫌よく、親切なので、よい思い出しかありません。

ロスアンゼルスにおける日系人の移住生活はどうでしょうか。 うちも子供2人がカリフォルニアに住んでいて、3人目もチャンスがあれば移ろうとしています。 若いものにはいい所なのでしょう。 私自身はこの夏2週間行ってみて、「もう結構」という気になりました。 妻も昔カリフォルニア大学を卒業したのですが、やはり「もう沢山」と、情報とチャレンジの渦巻きから外れたバンクーバーの田舎暮らしに満足しているようです。

ではどうかお元気で。

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