旅のお便り有難うございました (2007/12/08)[s]
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お便り有難うございました。 いい旅をされたようで、羨ましく思いました。 旅は心を豊かにします。 良い本を読むようなものです。
私がゆっくり進む汽車の旅を好むのは、触れ合う人の暖かさを楽しむことができるからです。 沿線の景色などほとんど覚えていませんが、食卓を共にした旅人達の新鮮な表現や表情が思い出となって長く残ります。 これが飛行機で乗り合わせた日本人だと、モントリオールからバンクーバーまで6時間無言で通すことになります。
貴兄が三越を去られてから大きな揺さぶりがあったわけですが、その頃の日経に、貴兄の談話が紹介されていたのを想い出します。 「もう三越とは離れた身分だから」とコメントを控えられたという記事が出ていたように記憶するのですが、それがお便りにあったメディアからのアプローチだったのでしょうか。
お友達の子供さんが自衛隊少年工科学校で学ばれたそうですが、そういう幼年学校や兵学校的な教育機関があるとは知りませんでした。 私も、昔長男が小学校の悪童として手におえなかった時、父親として自信を失い、カナダ軍に入隊させたらどうだろうかと思案したこともありました。 今思えば、子供が育つのにカナダでは最悪の環境に住んでいたのですが、移住した当初はそんなことも知らないままその地に落着いてしまいました。 学校から放校の警告を受けた長男の将来は刑務所に違いないと思い、刑務所見学に連れて行ったこともありました。 しかし結局その地に12年間住んでいた間に、息子が14才の時クリスチャンとなり、人間が変りました。
現在41才ですが、カナダ、アメリカのみならず、フィリピンやカンボジアでも用いられています。 変れば変るものだと不思議な気がしますが、母親の感化を受けたのでしょう。 家内は大学を三つ卒業したのですが、子供達が大学に進み世的な成功を目指すことは望まず、神を畏れる人になってほしいと、5人のうち4人までは神学校に進ませました。 そのうちの一粒が実を結びつつあるようです。 結局全員大学や大学院まで行きましたが、大分遠回りをすることになりました。
私は1968年にイギリスに行きましたが、当時のイギリスはまだ戦後の耐乏生活の名残りが感じられました。 しかし企業戦士達の戦場だった日本に比べて、イギリスの社会の中には正直で礼儀正しく親切な人が多かったように思います。 ロンドンはパリやニューヨークに比べて地味ですが、一度そのノウハウを会得すれば実に住みやすい所でした。 言ってみれば、復興の槌音高い鹿児島から初めて京都を訪れ、未だ見ぬ故里ながらルーツを訪ね当てたような心地、それが当時のイギリスには感じられました。 思いやりがあっても余計なことは言わない、しない。 ですからイギリスに移ることには別段勇気も心構えも要りませんでした。 私が鈍感だったせいもあるでしょう。
あそこは階級社会と言われますが、外国人は一応「ジェントルマン」扱い。 うちに来ていた家政婦さんは、私のことを「ガバナー」と呼んでいましたが、「知事」ではなく「旦那さん」ぐらいの意味だったかもしれません。 自称「外国人嫌い」のイギリス人からみれば、私は旧敵国人でしたが、BBCで働いていると判ると、「アウンティBBCか」と身内のように胸を開いてくれました。
そこからカナダへ移ると、ここはまだ移住者が到来し続ける開社会。 いい人も勿論多いのですが、概して先にやってきた人の方が威張っています。 カルチャーショックはカナダに来てやっと経験しました。
カナダへ来て一代で社会の上層部に登りつめる人もいますが、大体は「子供のために移住」する人が多いようです。 これはヨーロッパ系でも同じです。
しかし二世や三世の間では、異人種間の結びつきが増えています。 私のところも子供達の配偶者は、ユダヤ、日本、フィリピン、イラン、フランス系と様々です。 しかしインロー同士仲良く、孫達は従兄妹同士で自然に遊んでいます。 成長するとどうなるでしょうか。 その頃は私達もこの世にいないのですが、あの世から眺めることにいたしましょう。
どうかお元気で。 よいクリスマスと新年をお迎えください。
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お便り有難うございました。 いい旅をされたようで、羨ましく思いました。 旅は心を豊かにします。 良い本を読むようなものです。
私がゆっくり進む汽車の旅を好むのは、触れ合う人の暖かさを楽しむことができるからです。 沿線の景色などほとんど覚えていませんが、食卓を共にした旅人達の新鮮な表現や表情が思い出となって長く残ります。 これが飛行機で乗り合わせた日本人だと、モントリオールからバンクーバーまで6時間無言で通すことになります。
貴兄が三越を去られてから大きな揺さぶりがあったわけですが、その頃の日経に、貴兄の談話が紹介されていたのを想い出します。 「もう三越とは離れた身分だから」とコメントを控えられたという記事が出ていたように記憶するのですが、それがお便りにあったメディアからのアプローチだったのでしょうか。
お友達の子供さんが自衛隊少年工科学校で学ばれたそうですが、そういう幼年学校や兵学校的な教育機関があるとは知りませんでした。 私も、昔長男が小学校の悪童として手におえなかった時、父親として自信を失い、カナダ軍に入隊させたらどうだろうかと思案したこともありました。 今思えば、子供が育つのにカナダでは最悪の環境に住んでいたのですが、移住した当初はそんなことも知らないままその地に落着いてしまいました。 学校から放校の警告を受けた長男の将来は刑務所に違いないと思い、刑務所見学に連れて行ったこともありました。 しかし結局その地に12年間住んでいた間に、息子が14才の時クリスチャンとなり、人間が変りました。
現在41才ですが、カナダ、アメリカのみならず、フィリピンやカンボジアでも用いられています。 変れば変るものだと不思議な気がしますが、母親の感化を受けたのでしょう。 家内は大学を三つ卒業したのですが、子供達が大学に進み世的な成功を目指すことは望まず、神を畏れる人になってほしいと、5人のうち4人までは神学校に進ませました。 そのうちの一粒が実を結びつつあるようです。 結局全員大学や大学院まで行きましたが、大分遠回りをすることになりました。
私は1968年にイギリスに行きましたが、当時のイギリスはまだ戦後の耐乏生活の名残りが感じられました。 しかし企業戦士達の戦場だった日本に比べて、イギリスの社会の中には正直で礼儀正しく親切な人が多かったように思います。 ロンドンはパリやニューヨークに比べて地味ですが、一度そのノウハウを会得すれば実に住みやすい所でした。 言ってみれば、復興の槌音高い鹿児島から初めて京都を訪れ、未だ見ぬ故里ながらルーツを訪ね当てたような心地、それが当時のイギリスには感じられました。 思いやりがあっても余計なことは言わない、しない。 ですからイギリスに移ることには別段勇気も心構えも要りませんでした。 私が鈍感だったせいもあるでしょう。
あそこは階級社会と言われますが、外国人は一応「ジェントルマン」扱い。 うちに来ていた家政婦さんは、私のことを「ガバナー」と呼んでいましたが、「知事」ではなく「旦那さん」ぐらいの意味だったかもしれません。 自称「外国人嫌い」のイギリス人からみれば、私は旧敵国人でしたが、BBCで働いていると判ると、「アウンティBBCか」と身内のように胸を開いてくれました。
そこからカナダへ移ると、ここはまだ移住者が到来し続ける開社会。 いい人も勿論多いのですが、概して先にやってきた人の方が威張っています。 カルチャーショックはカナダに来てやっと経験しました。
カナダへ来て一代で社会の上層部に登りつめる人もいますが、大体は「子供のために移住」する人が多いようです。 これはヨーロッパ系でも同じです。
しかし二世や三世の間では、異人種間の結びつきが増えています。 私のところも子供達の配偶者は、ユダヤ、日本、フィリピン、イラン、フランス系と様々です。 しかしインロー同士仲良く、孫達は従兄妹同士で自然に遊んでいます。 成長するとどうなるでしょうか。 その頃は私達もこの世にいないのですが、あの世から眺めることにいたしましょう。
どうかお元気で。 よいクリスマスと新年をお迎えください。

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