Sunday, November 13, 2005

中内さんの葬儀に関連して(05-11-07)[s]

中内功氏の学園葬に参列した会葬者が5千人だったとうかがい、「流石」というか、「予想外」というか、いささか意外の念に打たれました。

その数を聞いて、渥美清の追悼の会に大船まで赴いた万を数えるファンのことを思い出したのですが、5千人の会衆のうち、かつての取引先などの半ば義理で出かけた人達の外に、ファンに似た心情で参列した一般市民の割合は、いかばかりだったのでしょうか。

インターネットで、中内氏死去のコメントを幾つか読んだのですが、「日本人は、負け組みには冷たい」とか「ダイエーが社葬にしなかったのはヒドイ」というような意見がある一方、経済記者の中には、「阪神大震災で、村山首相が遅疑逡巡している時に、中内さんはヘリコプターとフェリーをチャーターして物資を運んだ。 中内さんが首相だったらと思った」と感慨を込めて書いているのが目にとまりました。

中内氏が退陣を表明した最後の総会で、、「議長、中内さんがあんまり寂しすぎるわ! 拍手で送ってあげたい」との声があがり、満場の拍手が止まなかったそうですが、それが大方の真情でしょう。

日本のみならず、海外の日本人社会でも、リタイアして、無位無冠の法衣になった途端、存在を掻き消されてしまいます。 これは駐在員の奥さん達にしてみればもっと大事なことで、旦那の勤め先と肩書きが価値判断の物差しになります。 カナダ人やアメリカ人だと相手の値打ちを測るのに、「HOW MUCH ARE YOU WORTH?」と露骨に訊く拝金主義者もいます。 その点、私の出会ったイギリス人には、勤め先や肩書きに
関心の無い人がいました。 あるパーティーで、私を日本人とみてとった紳士が「自分の友達は柔道六段だ」と言いますから「レゲットさんでしょう」と言うと、「どうして知っている」「私のボスですから」「えっ、何処で?」「BBCで」「彼、BBCの部長だったのか。 知らなかった」というやりとりをしたことがありました。 レゲットさんにそのことを話したら、「彼、階上のフラットに住む弁護士だ」と笑っていました。  

私が息子の結婚式のために帰国したのは2001年でしたが、家内の実家の二三軒先の角に、一風異なったコンクリートの塀をめぐらした家がありました。 「あれがダイエーの中内さんのお宅」と家内が教えてくれましたが、あの頃はまだそこに住んでおられたのですね。 あれも人手に渡ったのでしょうか。

あの辺りも有為転変、すっかり代替わりしてしまったようです。 家内の実家も例外ではなく、15年程前に古い家を売ったのですが、買主はそれを取り壊して城砦の様な家を建てました。 しかしいかなる事情によるものか結局その家に住むことなく、また売りに出ているそうです。 92才の義母は元の敷地内に建てた小さな家にまだ住んでいますが、あの辺では最も古い住人になってしまいました。 田園クラブでダブルスながら毎週白球を追っており、我々娘夫婦の方が先に倒れそうです。

中内さんは、一度は日本一のタイトルを手にされたのですから、戦国の武将なら天下を取ったも同じ。 そうした稀有の逸材に貴兄も親しく私淑されたのですから、これまた稀有の巡り合せでしたね。

それにしても、人生を FINISH WELL するということは難しいものですね。 旧約聖書のダビデ王の故事を引いて、終わりを全うすることの至難さを、レクチャーで聴いたことがあります。 一介の羊飼いから、神の祝福のうちに栄華を極めた人でも、一転して暗黒の道を歩まなければならなかったとは、多くの偉材にも当てはまることでしょう。 

愚鈍な私の人生は、遂に敗者復活のチャンスもないまま終わるのですが、これも定めの内かなと観念しているこの頃です。

前にも申しました様に、私もこれから減量生活に入ります。 粗大ゴミや古いしがらみを捨てるのも、それなりの勇気が必要でしょうが、同時に私を絶えず襲う亡霊や怒りも捨て去ることが出来るきっかけとならないものかと思うのです。
(05-11-07)

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