Monday, August 04, 2008

(件名なし) (2008/08/02)[s]
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日本でも恵まれた人達が涼を求めて別荘を構える鵠沼と承知していますが、その鵠沼でも暑さからエスケープすることはできませんか。 

カナダでも、大陸性気候に直撃されるモントリオールやトロントでは、溶鉱炉の扉が開いて熱風が吹き付けるような感じでした。 

バンクーバーの取り得は、日本から流れてくる黒潮のおかげで気候が割合穏やかということでしょうか。 ただし地震帯の上に乗っかっているのですから、災害は覚悟しなければなりません。

産業も、昔は森林関連と鉱業に支えられていたのですが、これも今は沈静状態となっています。 

ただ、世界の騒乱の渦から離れ、東京、ニューヨーク、ロンドンに大体等しい時間と距離。 情報は瞬時に地球を駆け巡るのですから、もっと地の利を生かした知識産業が育たないものかと思うのですが。 
そ れにつけても思い出すのは、カナダのある日本通の言葉。 「カナダの人は田舎の人ですから失礼なことがあります。 でも悪気はないのです」と言っていまし た。 何せ移民の社会ですから、洗練された文化と市民社会が育つのは、次世代、三世代待つべきなのかもしれません。 。

私が移住してきた のは34年前。 当時は、テレビのアナウンサーも、女性は稀。 それから暫くして私もCBCという放送局で働くようになったのですが、バンクーバーの局舎 でウロウロする非白人は私1人だけでした。 それが今では若い中国系のアナウンサーやプロデューサーが、庇を借りて母屋を乗っ取らんばかりの多数派になっ ています。 

また、私が移住してきた1974年のことですが、東洋人といえば二等市民的存在。 今でも人種偏見は幾分残っているかと思いますが、それにしても現在経済や政治の舞台で花道を踏むのは中国やインドからの移住者。 それに比べると日系の動きは地味な感じがします。

ブリティッシュコロンビアの州総督も州首相も数年前は香港やパンジャブからの移住者でした。

そ れにしても、コミュニケーションは大切。 その主役は英語なんですから、日本でも英語の達人が増えるよう、幼児からの英語教育に力をいれてほしいと思いま す。 インド系の人が英語が達者なのはわかりますが、重慶でも5~6歳の幼児に英語を習わせていると聞くと、日本語の発展を願うばかりに、小学校での英語 教育に反対する一部日本人エリートの主張に異議を申し立てたくなります。

「はじめに言葉ありき。 言葉は神とともに在り。言葉は神なり き」と子供達は日曜学校で学びます。 口惜しいけれども英語は世界共通語。 私は英語が下手なため、どれだけ恥と冷汗をかき、無視と軽蔑を味わったこと か。 日本語が上手でも日本では別段尊敬されませんが、英語は人格と同じ。 人格を認めさせたいのなら、次世代の人にもっと世界共通語に挑戦してほしいと 思うのです。

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